多くの人が訪れる駒場祭。その会場である駒場キャンパスには教養学部があり学部生だけでも6千人以上の学生が通う。敷地面積は約35万㎡で本郷キャンパスの約55万㎡には及ばないものの、独自の歴史と伝統を誇る。その駒場Ⅰキャンパスの建物に焦点を当て、『東京大学新聞』とその前身『帝国大学新聞』から、あまり知られていない歴史を探ってみた。
現在の駒場Ⅰキャンパスの原形が出来上がったのは、東京大学教養学部の前身、旧制第一高等学校が駒場に移ってきた1935年。もともと向ヶ丘にあった一高は駒場にあった東大農学部と敷地を交換する形で移転した。同年9月に学生と教員が向ヶ丘から駒場まで盛大に行進してきたという。
一高の学生と教員を受け入れるべく、現在の1号館、900番講堂、駒場博物館に当たる建物が建てられた。当時はいずれも「超モダンな校舎」と表現されている。
これらを設計したのは建築家内田祥三(うちだ・よしかず)氏。特に、1号館正面の時計台については同じく内田氏が手掛けた本郷キャンパスの安田講堂に外観が似ているといわれ、駒場Ⅰキャンパスの象徴的建物になった。現在は登録有形文化財に登録されており、今年を含め例年駒場祭で時計台の内部が公開されている。
キャンパスの東側には南寮、中寮、北寮の3棟の寮が造られ、学生は全員寮で暮らした。寮の部屋から授業の行われる教室までは5分足らずで、各建物と地下通路でもつながっており学生は雨の日も濡れずに移動できたという。現在1号館にある地下へ下りる階段がその地下通路の出口だった。
この寮は駒場寮として戦後も残り続けたが、老朽化が進み1991年以降廃寮が進められた。取り壊しの際には寮の明け渡しを要求する大学と廃寮に反対する寮自治会などとの間で激しい対立が発生。2001年に立ち退きの強制執行が行われ寮は取り壊された。現在、駒場寮跡地には駒場コミュニケーションプラザ、21 KOMCEE、駒場図書館が建てられ多くの学生の活動の場となっている。図書館前広場の片隅にあるアーチ状の建造物が駒場寮の遺構だという。
駒場Ⅰキャンパスは80年以上にわたりその姿を変えてきた。現在何気なく歩いているキャンパスはその変化の結果ともいえる。駒場祭を機に駒場Ⅰキャンパスに秘められた歴史と伝統を味わってみてはどうだろうか。
(文・安保茂)