GRADUATE

2024年3月20日

東大新聞編集長から朝日新聞社社長へ 朝日新聞社社長・中村史郎さんインタビュー 情報氾濫社会を生き抜く力とは 

 

 現代社会は、ネットメディアの台頭や生成AIの登場により真偽不明な大量の情報が飛び交い、より一層混迷している。この世の中を生き抜いていくために、われわれはどのように情報に向き合うべきだろうか。朝日新聞社社長の中村史郎さんは、東大新聞で記者・編集長として活躍し、卒業後朝日新聞社に入社。2021年4月に朝日新聞社代表取締役社長、23年6月に新聞協会会長に就任した。中村社長に、本号で3000号を迎える東大新聞での思い出、そして情報氾濫社会を生き抜く力の養い方を聞いた。(取材・本田舞花)

 

 

朝日新聞社社長・中村史郎さん
中村史郎(なかむら・しろう)さん (朝日新聞社)/東京大学農学部卒業後、86年に朝日新聞社入社。国際報道部長、東京本社広告局長、執行役員編集担当兼ゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長などを経て、21年4月に朝日新聞社代表取締役に就任。23年6月に新聞協会会長に就任。

 

 

 

 

東大新聞で議論した日々 学生新聞は「大学を見る窓口」

 

東大新聞の夏季合宿にて 朝日新聞社社長・中村史郎さん
東大新聞の夏合宿にて(画像は中村社長提供)

 

──なぜ東大新聞に入部したのですか

 

 私は田舎育ちの純朴な青年だったものですから、東京に出てくるなんて、「井の中の蛙(かわず)が大海に出る」ようで、とにかく都会に圧倒されていました。新入生って、いろいろなサークルや部活から勧誘されるでしょ。圧倒されていたら結局どれも入りそびれたわけです。偶然買っていた東大新聞の「新入生歓迎号」に「新入編集部員募集」と書かれているのを見つけて、6月くらいに入部しました。

 

──東大新聞ではどのような記事を書いていましたか

 

 部員数が少なかったので何でも書きましたが、好んで書いていたのは劇評です。野田秀樹さんの劇団「夢の遊眠社」の公演「走れメルス」で初めて劇評を書き、演劇に興味を持つようになりました。私が東大にいた頃は学内劇団がかなりの数あって、駒場寮の駒場小劇場という有名な劇場でよく公演をしていました。公演を知らせる立て看板がキャンパスに毎日のように立っていましたね。東大の中の学生演劇も、下北沢の小劇場にもよく通い、劇評を書きました。当時は「小劇場ブーム」と言われていて、野田さんの他に如月小春さん、渡辺えり子さんや鴻上尚史(こうがみしょうじ)さんが一気に出てきた頃でした。

 

 あとは、東大教員や東大の卒業生へのインタビューを書いたり、各学部自治会の動きを追って報道したりしていました。学生運動はとっくに終わっていたけれど、その尻尾の尻尾くらいは残っていて、自治会運動はそれなりにありました。

 

──特に思い入れのある企画や取材は

 

 印象深いのは1984年の「新入生歓迎号」に掲載した、歌手の中島みゆきへのインタビューです。中島さんの大ファンの編集部員から熱心な提案があり、「なぜ東大新聞に中島みゆきさんに登場してもらいたいのか」を部内で真面目に議論しましたね。ダメ元で所属事務所にお願いしたら、引き受けていただけて。私は当時編集長で、ファン目線だけの記事になるのは心配で一緒に取材に行きました。「あの中島みゆきさんに会えるんだ」って下心もありましたけど(笑)。ファン心理丸出しのインタビューに時々引いた目線の質問を加える役割を担ったわけです。中島さんはそのあとラジオ番組「オールナイトニッポン」の放送を控えていました。番組で、「今日は東大の学生の取材を受けました」と紹介してくれて。「2人取材でいらっしゃったんですけど、それぞれ聞いてることがバラバラでした」と笑いながら話していました(笑)。部員と共同して原稿を作り事務所に送ったところ、担当者の方から「もっと良い記事にしたいから、もう一回話し合いをしよう」と電話がかかってきました。もう夜も遅かったので、お金を出していただいてタクシーで事務所まで行って、より中島さんのメッセージが伝わるような記事を作るべく、議論しながら完成させました。先方の熱意がすごいですよね。大スターに取材できたことも、その後記事が学内でも話題になったことも印象深いです。

 

 

中島みゆきの記事
中島みゆきへのインタビュー記事(「東京大学新聞」第1413号 1984年4月17日発行)

 

 

──現在は各大学でさまざまな学生メディアが存在しています。学生メディア、特に学生新聞はどのような役割を果たしていると考えますか

 

 今は学生を含め若い世代の人々は、SNSを通じて文章を投稿したり、小説や漫画を発表したり、自分で発信できる手段を持っていますね。個人の発信が容易な時代に、「マス(大衆)」の声を代表して、「マス」の声を集めて代弁して、「マス」に届けているというのは、メディアの根源的な役割だと思います。東大生一人一人が思うことを自由に発信するのとは違って、東大の学生たちは何を考えているのか、何に悩んでいるのか、東大では何が起きていてどんな活動が行われているのか、といった東大生全体のありのままの動きを伝えていけるのは、学生新聞に限らず学内メディアの強みだと思います。また、学生新聞は、大学外部の人や組織が「大学を見る窓口」としての役割もあると思います。私が編集長の時に、オリ合宿(4月初旬にクラス単位で親睦を深める合宿)に参加していた学生が山中湖のボート転覆事故で亡くなったという出来事がありました。外部のメディアが取材に来て、事故の経緯や事故に対する東大生の反応だけではなく、「そもそもオリ合宿とは何か」など東大内部では基本的な情報もいろいろ聞かれました。

 

 幅広い層を対象とする一般新聞であっても、大学という枠内のメディアである学生新聞であっても、求められる情報を分かりやすく説明し、そして広い層から動きや意見を吸い上げて、再びその層に伝えていくという役割は基本的に同じだと思います。 

 

転覆事故号外
東大新聞は山中湖のボート転覆事故についてまとめ、号外を発行した(「東京大学新聞」号外 1984年4月16日発行)

 

──東大や東大新聞での経験が今の仕事で生きている場面はありますか

 

 元々新聞記者になるつもりはなかったんです。新聞を読むのは好きでしたし、メディア業界に関心はありましたが、結局メディアの道を選んだのはやはり東大新聞に入ったからでしょう。新聞をはじめメディア業界は人気があり、志望する学生がとても多かった時代です。その中で学生新聞を経験していた人というのは、メディアの側からはどちらかと言えば敬遠されていたと思います。先入観や癖を持っているのではないかと思われていたんですね。

 

 東大新聞では毎週新聞を発行していたので、来週はどんな記事を載せるか、どんな企画をやるかを部員で提案しあって、誰がやるかを毎週の編集会議で決めていました。在籍当時は部員が少なくて、人数は多い時で15人程度、一番少ない時で確か6人でした。

 

──月刊に移行した現在の東大新聞の活動メンバーは50人ほどです。当時はかなり少人数で発行していたのですね

 

 毎週毎週自転車操業で4面の新聞を発行していましたね。一つの号が終わったら、すぐに次の号の取材・執筆・編集作業が始まります。でも部員みんなで企画の議論をしたこと、実際に新聞のレイアウトを組みながら、どの記事を削るかどの記事を残すかといった新聞づくりそのものを経験できたこと。青臭さはありますが、徹底的に議論をしながら一つのものを作り上げていった日々は貴重な経験で、朝日新聞での仕事でもどこかで役立っていると思います。

 

夏合宿
東大新聞の夏合宿にて、部員たちと。中村社長は上段の一番右(画像は中村社長提供)

 

──「東京大学新聞」は2020年に創刊100周年を迎え、本号で3000号を迎えます。メッセージをお願いします

 

 「東京大学新聞」は、元々は1920年に大正デモクラシーの中で誕生し、「帝國大学新聞」として歩みを始めました。大江健三郎さんが東大新聞主催の文芸・評論コンクールで「五月祭賞」を受賞して作家としてデビューしたこともありましたね。東大新聞は、学生新聞の草分けのような存在でもあり、幾度も廃刊の危機を乗り越えてきたという歴史があります。形は変わっても、東大の歩みの相当部分に足跡を残しているという価値をもう一度再認識し、今後も歴史を紡いでいって欲しいと思います。

 

 

大都会「東京」での驚き 東大はなんでもできるところだと感動

 

新人記者の中村社長
新人記者のころ(写真は中村社長提供)

 

──東大を志望した理由は

 

 私は島根県出身で、県立高校の理数科に通っていました。中学校も高校も吹奏楽に没頭していましたね。京都大学を目指していましたが、共通一次試験の点数がさほど高くなかったので、先生に「お前は京都大学じゃ危ない。東大を目指せ」と言われて受験することにしました。東京なんて遠いし行ったこともなかったけれど、東大にチャレンジして、理科2類に合格しました。

 

──東大に入学する前に思っていた「東大」と実際の「東大」の違いや共通点はありますか

 

 大学も新鮮だったけれど、東京という大都会が初めての体験でした。同級生のセンスの良さやいろいろな物事に対する感度の良さにびっくりしました。勉強だけではなく、例えば「プログレ(プログレッシブ・ロック)」といった音楽も東京に来て初めて知りました。

 

 やっぱり、東大はキャパシティが大きいなと思いますね。なんでも揃(そろ)っていて、どんな人もいる。学びたいと思ったら、理系文系も科類も関係なく、勉強することができます。特に駒場の前期教養課程では、学生が主体となって教員に講義を依頼するゼミがあります。当時は紙飛行機をいかに遠くに飛ばすかを学ぶゼミがありまして、それで単位がもらえたそうです(笑)。第三外国語をやろうと思ってドイツ語のゼミに入ったり、資本論のゼミに入ったり。いずれも途中で挫折しましたけど、東大はなんでもできるところだなと感激しました。

 

──東大で印象的な授業や人との出会いはありますか

 

 実は東大入学前は子どもの頃からの夢である天文学者になりたかったんですけど、東大では農学部に進学しました。農学部には農業実習があって、一年間田植えをしたり、トラクターの運転方法を学んだり、果樹園で果樹栽培を体験したり。今まで経験して来なかった体験の連続で毎週刺激的でした。

 

 農政学を専門にされていた今村奈良臣(ならおみ)教授のゼミに入っていました。私は東大新聞の作業が忙しくてそんなに学業に熱心な学生ではなかったのですが、先生にはよく指導してもらいましたね。卒論で取り上げたテーマは「ソ連農業における個人的副業経営の研究」。社会主義農業の枠外にある小さな自由経済についてです。今村先生から、「君の選んだテーマは面白いから要約して書き直したものを農業の専門雑誌に載せないか」と言われました。やりますと言いましたが、卒論を書き終わったのが提出期限ギリギリで卒業するまでに掲載用の文章を書ききれなくて…朝日新聞の研修所で残りを書いていました(笑)。

 

 

ニュースを情報社会の中で「生き抜く力に」

 

外報部次長のころ。2006年2月、朝日新聞東京本社編集局にて(写真は中村社長提供)

 

──21年4月より朝日新聞社代表取締役に就任されました。朝日新聞ではどのような仕事をしてきましたか

 

 朝日新聞は、ざっくり半分は記者で、もう半分は記者職以外で構成されています。ビジネス部門やデジタル部門、技術、販売、人事、労務といった仕事です。新聞の経営に関わる人は記者からも記者職以外からも出てくるので、記者出身の人は退職するまでずっと記者というわけではありません。私は40代半ばまでずっと編集部門でしたが、たまたま人事で取材に必要な資材や器具を購入する部門に異動して、記者とは違う世界を初めて知りました。その後広告部門でビジネスの経験を積んだり、再び編集部門に戻ったり。記者としても、記者職以外のいろいろな部門でも経験を積みました。

 

政治部時代
政治部記者時代、国会内の平河記者クラブにて(写真は中村社長提供)
江沢民
北京特派員として中国の江沢民国家主席(当時、右)へのインタビューに参加。1998年11月、北京・中南海にて(写真は中村社長提供)
中村社長と小泉首相
首相官邸と内閣記者会の年末懇談会であいさつ。右は小泉純一郎首相(当時)。2003年12月首相官邸にて(写真は中村社長提供)

 

──過去には、編集局長を担当していました

 

 新聞社の中では珍しく、朝日新聞社は編集局長(新聞の製作の中核を担う編集局の局長)を二人設置しています。ゼネラルエディターとゼネラルマネジャーです。ゼネラルエディターは、コンテンツそのものの編成を担い、「今日は何を1面トップに置くか」「デジタルではどの記事を中心にするか」「記事をどのような切り口で書くか」などを決定する最終責任者です。ゼネラルマネジャーは、編集局の人事、予算といったその組織の組織運営や問題全般を扱います。私はたまたま両方経験しました。

 

──社長に就任されてからの取り組みについて教えてください

 

 新聞を取り巻く状況は年々非常に厳しくなっています。私の入社時とは全く異なり、新聞社を志望する学生の数も、お金を払ってニュースを読もうとする人も少なくなってきています。無料で読めるネットニュースも多いですからね。従来のような、新聞記事を紙に載せて印刷してお届けするだけで商売が成り立つという時代ではなくなってきています。しかし、取材するにも印刷して発行するにも、デジタルで発信するにもコストがかかること、そしてコストがかかるからこそ信用できるニュースを発信できるということを、もっと世の中の人に知ってもらいたいです。「朝日新聞を作り直す」ということが、私が社長になってからずっと掲げてきたテーマです。

 

 紙の「朝日新聞」だけに頼らない、「朝日新聞デジタル」でデータコンテンツや動画、音声などの多彩な情報を柔軟に発信できる体制に変革しています。またジャーナリズムを支えるために、様々な分野のデジタル媒体、イベント、EC(ネット販売)、IP(知的財産を活用して収益を得るビジネス)、不動産などビジネスの裾野を広げる、ビジネスパートナーを増やしてグループ企業経営を強化する、などの事業構造転換を進めています。

 

 例えば、夏の高校野球の全試合、地方大会から甲子園球場での全国大会までネットで中継する「バーチャル高校野球」は当社と朝日放送の共同事業で、急成長をしています。老舗の科学雑誌「Newton」は昨年、朝日新聞グループに加わりました。

 

──23年6月より新聞協会会長に就任されました。各新聞社のオンラインニュースサイトや2次メディアが速報性や発信情報量、拡散力の点で若い世代の情報収集源となっていく状況に、新聞はどのように対応していくべきでしょうか

 

 YahooニュースやLINE NEWSなどのプラットフォーム(特定のサイト利用者に向けて情報発信をするためのシステム)を通じたニュースの拡散は、ここ数年メディア業界全体で大きな問題となっています。ネット上で自社のニュースを拡散するには、プラットフォームを利用した方が広く拡散できます。しかし、ニュースの発信元が曖昧になってしまいますし、朝日新聞独自のスクープ記事であっても、プラットフォームで読まれている場合、読者は朝日新聞デジタルまで中々たどり着けません。新聞社、通信社、テレビ局といった信頼できる報道機関が出したニュースをデジタル上でいかに読者にストレートに伝えてその対価を得ていくか、ということは目下の我々にとって非常に大きな課題です。

 

中島みゆきさんの記事を持つ中村社長

 

──紙媒体の新聞は今後ネットメディアやデジタル版とどのように役割を区別していくべきでしょうか

 

 ネットメディアが登場した時は紙がデジタルに食われるんじゃないかという不安や恐れが抱かれていました。しかし、それから十数年経った今、日本のメディアは試行錯誤する中で、紙の新聞は減りつつあるけれど紙とネットは役割が違うということが見えてきたと思います。

 

 よく言われる話ですが、紙の新聞には総覧性があり、その日一日に起こった出来事の中で重要なニュースや、論評、料理、スポーツ、お役立ち情報などをパッケージにしてお届けしています。朝日新聞の朝刊は一部180円。「新聞の朝刊には新書1冊分くらいの濃密な情報が詰まっている」と言われています。何のニュースを読めばいいのか、どこから読めばいいのか…情報があふれすぎていて混乱している人にとっては、新聞一部で毎日のニュースをまとめて読めるという形に意味があると思います。

 

 一方、デジタルは情報量に限りがないので、関連情報やリンク、音声や動画などさまざまな表現方法を利用することができますし、速報性も優れています。紙とオンラインで、それぞれの特性に応じて伝え方や役割はおのずと分かれてきたように思います。一日に何度も更新され、過去記事も含め膨大な量の情報が集まっているデジタルと、毎日決まったページ数で情報がまとまって送られてくる紙媒体のどちらが適しているかは、受け取る側次第です。

 

──生成AIの登場により、自動的な文章や画像の生成が容易になっています。これまで以上に情報の真偽の判断が難しくなっていく中で、我々は日々情報にどのように向き合っていくべきでしょうか  

 

 これから東大に入る人たちには特に伝えたいことですが、「情報リテラシー」というものを持っていないと、これからの世の中では生きていけません。新聞しか情報伝達手段がなかった時は、新聞が情報を全て独占していました。やがてラジオ、雑誌が誕生し、テレビが放送されるようになり発信手段が多様化していく中で、発信内容も複雑化し、情報量も増加していきました。現在はそこにネット社会が到来して、世間に流通する情報量が急激に増えたわけです。混沌とした情報の海に溺れかねない状況の中で、自分にとって必要な情報を見極め、真偽を判断し、どう利用していくかを考えることが必要です。物価の上昇、増税、株価の変動といった身近な話題から、遠い国で起きているように思えるウクライナの戦争やガザの人道危機というようなものも含めて、われわれはニュースというものと無縁で生きていくことはできません。真偽不明のニュースが溢れる中で、情報の真偽を見極め、ニュースを「生き抜く力」にする必要があります。大量のニュースに混乱した時、新聞社のようにコストをかけて信頼できる情報を集めたメディアが発信する情報は、真偽を見極める上できっと良いナビゲーターになってくれるはずだと思います。一般新聞にしろ学生新聞にしろ、多角的に物事を見つめ、情報の真偽を見極め取捨選択した上で、人々にお届けする新聞は、情報氾濫社会を生き抜く中できっと良い伴走者になってくれます。

 

 生成AIに飲み込まれるのか、それとも上手く使いこなしていくのかは、非常に大きな問題ですね。そのような時代だからこそ、情報の真偽を見極めていく力を若いうちから身につけてほしいと思います。新聞などメディアの記事を通じてリテラシーを養う指針を得て、そこから先は個人の興味関心次第です。氾濫する情報の中で右往左往するのか、それとも情報の真偽を見極め、ネットを上手く使いこなして更なる情報を得ていくのかは、まさしくリテラシー次第ですね。

 

 

──新入生へのメッセージをお願いします

 

 東大は非常に巨大なキャパシティーを持った日本一の総合大学です。そこで学ぶ機会を得たのだから、恵まれた環境にいることは間違いありません。あなたたちの入った大学は大変素晴らしいところで、研究環境が整っていて多彩な人に出会える場所だということです。東大で得た環境を、東大でできたつながりを、存分に生かしてほしいです。

 

 皆さんが生き抜くこれからの21世紀社会では、とにかく情報にどう向き合うかが常に問われます。情報をうまく使いこなせれば、自分の世界が広がり、選択肢が増えていきます。ニュースを「生き抜く力」にするには、社会のさまざまなことにアンテナを張って、自分の関心分野だけに閉じこもらず「ん?」とちょっと引っかかるくらいの疑問を抱いたことに気軽にアクセスしてみること、身近なことだけではなく日本社会や世界で今何が起きているかに関心を持ち続けることが必要だと、心に留めてほしいです。

 

【記事加筆】2024年4月16日午後10時03分 大見出しを加筆いたしました。

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る