学術

2025年7月18日

【戦後80年】1945年7月11日 戦災教授、学内に泊り込み “私はなぜ靴をはくか”(『大学新聞』1945年7月11日号より)

 

 2025年は終戦から80年の節目。戦争の当時を語る人々は減り、「当時」は遠い存在となりつつある。

 

 1944年7月から1946年4月の間、全国の学生新聞は『大學新聞』に一本化され、本紙の前身『帝國大學新聞』の編集部が編集を主に担っていた。

 

 今回は、1945年7月11日発行の「大學新聞」より、「戦災教授、学内に泊り込み “私はなぜ靴をはくか”」を転載する。当時の学生も、教員も、少なくなく空襲によって自分の家が焼かれてしまっている。当局による検閲下ではあるが、焼け出された教授たちに注目した本記事を通じて「当時」について考えるきっかけにしてほしい。(構成・溝口慶)

 

1945年7月11日 戦災教授、学内に泊り込み “私はなぜ靴をはくか”

 

 【東大】度重る戦災で東大各学部では焼け出されの先生が続出、中には学内泊り込みで頑張ってゐる先生も居る。文学部出教授は戦災ではないが家主のお寺が焼けたため敢闘して類焼をまぬかれた家の立ちのきを命ぜられ、学部防護団長の職にもあり敢然学内に泊り込みを始めてゐる、又文学部今井教授戦災以来学内に鳴った下駄ばきを止めて靴で登校、曰く“下駄を焼いたのでね”─以下各学部の戦災教授を見る─

 

 法学部では宮澤、田中、鈴木、菊井、小野、岡、横田、末延の各教授、刑部、来栖、團藤の各助教授、又尾高講師は二度の御難である。

 

 医学部では増田、三田村、田宮、白木、緒方、坂口、高木、佐々、大槻、内村、中泉、落合、三澤の各教授及び瀨田、緒方、水町の各助教授で学内泊り込みは三澤教授。

 

 一工では志村、浜田、武藤教授。

 

 文学部では戸田、今井、板澤、大西、高木、時枝、原田、平泉の各教授、海後、金子、坂本、鈴木、林、松本、尾高の各助教授、学内泊り込みは出、高木、時枝、海後の各教助教授、理学部では掛谷、清水、小倉、嵯峨根、鮫島、水島、山口、本田、田宮、久保田、小林、木内、坪井、鎌田、日高、渡辺、萩原、鏑木、早乙女の各教授、永田助教授のほか寺澤、高木名誉教授─農学部では江木、渡辺、伊藤、春日井、坂口、佐々木、石川、野口の各教授、学内泊り込みは坂口教授。

 

 経済学部では森、佐々木、柳川教授。

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