EVENT 2020年3月31日

小田部胤久×角野隼斗×園田涼×野村誠 「音楽に神は必要か」小社主催シンポジウムレポート【前編】

 もし音楽に必要とされる感性やひらめきを「神」が与えたものとするならば、「神」を持たない人工知能(AI)に音楽は作れるのか。こうした関心から2019年11月22日、東京大学新聞社はピティナ・ピアノコンペティション協賛の下、学術シンポジウム「音楽に神は必要か」を駒場Ⅰキャンパスで主催した。シンポジウムは各登壇者の発表、全体討論、コンサートの3部構成。記事前編では小田部教授による基調講演と角野氏、園田氏、野村氏によるプレゼンテーションの模様をお伝えする。

(構成・円光門 撮影・村松光太朗、山中亮人)

 

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 登壇者は美学理論が専門の小田部胤久教授(人文社会系研究科)、2018年ピティナ・ピアノコンペティション特級でグランプリに輝き、2019年度の東京大学総長大賞を受賞したピアニストの角野隼斗氏(情報理工学系研究科・修士2年/2020年3月現在)、自身が主催する「ソノダオーケストラ」をはじめピアノ演奏、編曲、楽曲提供など主にポップス界で多岐にわたる活動を行う作曲家=ピアニストの園田涼氏、小学校や老人ホーム、知的障害者施設などでさまざまな共同作曲を行い多数の著書を持つ現代作曲家の野村誠氏の4人。シンポジウム前半では小田部教授の「音楽(ミュージック)の変貌」と題した基調講演に始まり、角野氏、園田氏、野村氏がそれぞれシンポジウムの大テーマである「音楽に神は必要か」という問いに対する自分なりの回答を提示するプレゼンテーションを行った。モデレーターは東京大学新聞編集部記者の円光門が務めた。

 

音楽の本質とは何か?

――小田部胤久教授の基調講演――

 

 小田部教授はまず「音楽(ミュージック)」という言葉の変遷に着目する。古代ギリシアの哲学者プラトンが「ムーシケー」という語において具体的に念頭に置いていたのは歌であったように、西洋音楽において基本とされていたのは歌詞付きの音楽だった。また中世ヨーロッパの音楽観の礎を築いたボエティウスは、音楽をmusica mundana(天体の調和)、musica humana(人体の調和)、musica instrumentalis(人間が実際に奏でる音楽)に分けたことで有名だが、これら三つのうち二つは耳に聞こえないにもかかわらず、そうしたものを中世の人々は第一義的にmusicaとして理解していた。

 

 

 次に小田部教授は、今日の音楽観の原型が出来上がったとされるバロック時代(16世紀末~18世紀後半)を説明する。ドイツ語で音楽を意味する言葉としてTonkunstという造語ができたのもこの時代だ。Tonkunstとは「音の術」という意味で、重要なのは「音」を意味するTonという語が含まれていることだと小田部教授は強調する。聞こえなくてもよい、といった中世的音楽観との訣別(けつべつ)がここで明確に示されるからである。

 

 バロック時代においては声楽が優位であったため、器楽曲とは「本来あるべき歌詞のない音楽」とみなされていたが、モーツァルトなどが活躍した18世紀も終わりに近づくと、器楽の方が優位になる。19世紀以降に近代的音楽観が成立すると、声楽から解放された器楽は「それ自体として何も描写しない」という特質を色濃く打ち出してきた。

 

 古代ギリシアから詩・音楽・絵画などの本質は「模倣(ミーメーシス)」にあるとされ、バロック時代の音楽観に従えば、楽曲はある感情を「模倣」する。これに対して近代的音楽観は音楽をこうした模倣性から解放したといえる。模倣性がないという消極的な状態がかえって芸術の純粋性を保証するという逆説が生じるのであり、こうした音楽の自律性を表現したものとして、小田部教授はヴィクトリア朝時代(19世紀)を代表する作家のウォルター・ペイターの言葉を引用する。「あらゆる芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。というのも、その他の芸術ジャンルでは素材を形式から区別することが可能であり、知性は常にこの区別をなしうるが、芸術は常にこの区別を廃絶しようと努力するからである」

 

 消極性がかえって積極的な価値を持つという逆説は、音楽の自律性があらゆる価値と結びつき得るという逆説をもはらむ。特定の描写対象を持つ作品であれば、それが持ち得るメッセージ性には一定の限界があるが、素材の抽象性を持つ音楽の場合、こうした限界は希薄だからだ。音楽と政治との結び付きも、こうした点から考え直す必要があると話す小田部教授は、1795年に著された哲学者シラーの『美的教育書簡』を、芸術と政治との関わりを考える上で極めて重要なテクストだとして紹介する。自由・平等を求めたフランス革命がなぜ恐怖政治をもたらしてしまったのか、この問いに答えるべく、シラーは芸術による美的教育こそが現在必要であり、あらゆる規定から自由な芸術それ自体が、人間の全体性を回復する手段となると主張したのだ。

 

 「音楽はそれ自体として何も描写しない」という近代音楽のあり方は《4分33秒》(1952年)で有名なジョン・ケージの「音楽は音である」という定義にも表れていると小田部教授は指摘する。

 

 このように音こそが音楽の本質であるという媒体固有性の考え方は、一般にモダニズムと呼ばれる20世紀の王道を歩んだ芸術運動の特徴とされるが、20世紀も70年代に入ると、こうした媒体固有性に基づく純粋性を求める芸術に対して、ジャンルの混交を容認する立場が生じる。一般にポストモダンと呼ばれる運動であるが、小田部教授いわくこれは元を辿れば18世紀末に興った初期ロマン主義の芸術理論にたどり着く。ヴァーグナーの《ニーベルングの指輪》が基づく叙事詩『ニーベルンゲンの歌』は初期ロマン主義の人々によってドイツ民族の文学作品として再評価されたが、このように初期ロマン主義の一つの特徴は芸術における民族の意義を発見した点にあるのだ。19世紀という民族主義勃興の時代にあって、民族という概念は芸術と政治を考える上で重要な主題を成すのであり、ナチス・ドイツの蛮行を想起させるヴァーグナーと「ドイツ民族」のつながりも一つの例にすぎないと小田部教授は論じた。

 

感性なき音楽は無価値か?

――角野隼斗氏のプレゼンテーション――

 

 角野氏はまず次のような比喩を使って音楽における「感性」と「技術」双方の重要性について語る。技術を器だとすると、器がいくら大きくても中身がなければ意味がないと一般的には言われる。また、感性が水だとして、器が小さかったらその水はこぼれてしまう。感性があり表現したいものが伝わってくるというのは当然素晴らしいことだが、では感性がない演奏が素晴らしくないかというと、それは疑問だと角野氏は話す。

 

 

 次に角野氏は、1950年に数学者アラン・チューリングが考案したチューリングテストを紹介する。AさんとBさんはどちらかが人間であり、どちらかが機械であるが、質問者Cさんがそのことを見破れなかったら機械は十分に人間らしく知性を持っているといえる。このことは、AIが人と区別できない位の演奏をすることが出来るようになった時、人はその演奏に感動するのだろうか、という音楽演奏における感性の問題にも応用して考えることができる。

 

 AIが音楽に活用される例として、角野氏はアマデウスコードという日本の音楽ソフトウェアを挙げた。このソフトウェアはAIによってメロディーを自動で生成するが、メロディー以外の要素は人間がその後でいろいろ付け加えなければいけない。したがって、ソフトウェアによって生成されたものを人間のインスピレーションのきっかけとして捉え、人間がそれを発展させるツールとして、AIが使われ得るのだといえる。

 

 次に角野氏はAIで再現した美空ひばりに新曲《あれから》を歌わせるNHKのプロジェクトに言及した。再現された美空ひばりを前にした観客が感動していたことに触れ、たとえ機械に感情がないとしても、それが人を感動させ得るのだと述べる。

 

 重要なのは、AIに人間の技能を再現させるに当たって、まずはじめにその技能がどういう要素から構成されているのかを人間が考えるということだ。このように根本から研究し直すことは、逆に自分たちがどのように演奏を構成しているかということを解析することにもつながる。人は通常、何が起こっているか分からないが感動を与えるものを「感性」と呼んだり「神がかっている」と表現したりするが、これは一種の思考の放棄でもあると角野氏は主張する。なぜそれが感動を与えるのかを深く考えていくことに、AIが音楽を再現するプロジェクトの意義があるのである。

 

 これは音楽を作るに当たって、作り手が必ずしも感性を持つ必要はなく、逆に受け手がどういう感情を感じるか分析、逆算し、それを作り手が設計するというアプローチも存在し得るということを意味する。例えば、とある女性の歌手は20代女性に共感してもらうために等身大の自分の気持ちを歌詞にしたというが、実際は20代女性のSNSから重要そうなワードをピックアップし、それをつなげて歌詞にするという手法を取っている。この手法が「だまし」であると言えばそれまでだが、受け手を感動させるためにこのような努力をすることを素晴らしいと捉えれば、AIが将来人を感動させる可能性も肯定的に評価することができるのだと角野氏は述べる。

 

 角野氏いわく、人間とAIの強みはそれぞれ異なるので、人間対AIという構図は決して正しくない。人とは経験の中から学ぶ生き物であるから、そこにバイアスが入り込んでいることが創作の面白み、深みにつながる。逆に人工知能にはそれがないので、与えられた知識の範囲内でフラットな判断を行う。重要なのは、人間がAIをどのように生かしていくかということだと角野氏は述べた。

 

神が降りてくるとはどういうことか?

――園田涼氏のプレゼンテーション――

 

 言葉から離れたくて音楽をやっていると話す園田氏は、音楽における神の存在について「本心としてはあまり言葉にしたくない」と冒頭で述べたが、神がいたかもしれないと感じた瞬間は実際にあったとし、音楽を実践している中での個人的な経験を語り始めた。

 

 

 小学5年生の時、アイドルグルーブKinKi Kidsの《ガラスの少年》のイントロを音楽室のピアノで弾くと、友達がワッと集まって来た。昔から勉強は出来たが、肥満児だったため自分に自信を持てなかった園田氏は、この瞬間クラスの人気者になった。音楽の何とも言葉にできない力、すなわち神がかったものを感じ、この時期から音楽で頭がいっぱいになったという。

 

もう一つの神がかった体験として、園田氏はsouth by southwestというテキサスの大きな音楽フェスで自身が主催するソノダバンドとして演奏した際のことを話した。演奏を終えても観客のスタンディングオベーションは収まらず、音楽フェスにおいて本来は禁止であるはずのアンコールを求められたという。自身の演奏には「日本人のバンドによる欧米の音楽の模倣」という側面があったにもかかわらず、とある高齢の黒人の男性から「なぜだか分からないが、君たちのやっている音楽は僕たちがずっとルーツとして愛してきた音楽とリンクするところがあるように感じる。あなたに神のご加護がありますように」という言葉をもらったことは印象的だったと園田氏は振り返った。

 

 次に、園田氏は曲が頭の中に浮かぶのはどういう時かという話をした。完全5度という和音の響きに神を感じるほど引かれている園田氏は、頭に何も浮かばない時にひたすらこの和音を繰り返し、何かが降りてくるまで待っていることがあると言う。和声法の教科書において完全5度の連続は禁則であるが、一般にロックの世界ではこのルールを壊した楽曲としてDeep Purpleの《Smoke on the Water》が挙げられる。エレキギターの音質のひずみが完全5度の連続というタブーを逆に格好よくさせているのだと分析する。

 

 園田氏は次にアゴーギグ(テンポの揺らぎ)におけるクラシックとポップスの差異について言及し、ボーカルグループCHAGE and ASKAのCHAGEの上海公演にキーボーディストとして同伴した経験について語った。《エピローグ》という曲をリハーサルではテンポ通りに演奏していたところ、アンコールの熱狂的な観客に応えようと園田氏はイントロのテンポを揺らした。するとCHAGEもそのテンポに応じたので、あたかも2人の間で事前に打ち合わせをしていたように演奏を進めることができた。この時、まるで音楽に神が降りてきたような印象を感じたと語った。

 

 最後に園田氏は音楽の神髄の一つとしてピアニッシモの表現に触れた。いかに弱い音を美しく出すかという問題は、ジャズミュージシャンとクラッシックミュージシャンでは全く捉え方が異なるのだという。園田氏はジャズトランぺッターの日野皓正と共演した時に「ホールの奥を狙ってピアニッシモを出せ」と言われたこと、ジャズピアニストの小曽根真に「本当に客席の奥に向かって届けっていう風に出した音は届く」と教えられたことを挙げた。それに対して、ある著名なクラッシックピアニストからは「本当のピアニッシモっていうのは、しかるべき姿勢で、しかるべき手の形で、しかるべき打鍵の速度でおろした音が、届くピアニッシモだ」と聞いたそうだ。園田氏いわく、クラッシックは人体工学に則り理想的なフォーム、姿勢、打鍵の仕方に基づいて音を出すことを重視するのに対し、ジャズやポップスはビートを強く出すことでお客さんを踊らせるという違いがあり、この二つのジャンルを行き来する中で、自分なりの音楽を展開していきたいと締めくくった。

 

価値観の衝突は何を生み出すのか?

――野村誠氏のプレゼンテーション――

 

 野村氏は「人はどのような時にひらめくのか」という問いから始まり、ピアノの前に座って本を読んでいたとき、ふとピアノが本棚みたいになったらどうなるだろうかと考え、ピアノの鍵盤の上に本を立ててみたという経験を語った。野村氏はプレゼンテーション中に会場でこれを実演してみせ、本が立てられた鍵盤のダンパーが上がるために、この状態でピアノを弾くと美しいハーモニックスの効果が生まれることを示した。このような普段とは違った「環境」を積極的に作り上げていくことが音楽へのひらめきを生むのだという。

 

 

 次に野村氏は友人であるイギリスの作曲家Hugh Nankivellが自身の論文の中で、作曲をインベンションとアレンジメント、すなわち、新しいアイデアを考える作業(インベンション)と、それを音楽的に実現していく作業(アレンジメント)に分けたことを紹介する。アレンジメントを大人のプロ音楽家の手に委ねることで、子供たちによるインベンションがサポートされるという音楽教育の在り方をNankivellは提唱したのだという。

 

 本シンポジウムのテーマである「神」や「ひらめき」というものは、ここで言うインベンションの部分に見出される。だが、もし本当にひらめきを神頼みにしていては、毎回締め切りまでに新たな曲を作っていかなければならない作曲という行為は職業として成り立たないと野村氏は話す。野村氏は「ひらめき」を可能とする「環境」を積極的に作っていくために、数々の共同作曲の試みを行ってきた。異なるバックグラウンドを持つ多様な人々が一つの場所に集まって音楽を作ろうとすれば、いろいろな価値観の衝突や会話の誤解が発生する。共同作曲はそのような衝突や誤解を意図的に作り出した上で活用していくことで、自分が持っている発想とは別の着想を得るという営みだ。小学校や老人ホームなど子供たちやお年寄りと交流する中で音楽を作っていくという共同作曲の他にも、動物園に行きアリクイに鍵盤ハーモニカを弾いてもらうというプロジェクトも実施したことがあるという。このような共同作曲は、自分一人で部屋にこもって「神が降りてくる」ことを待っているだけでは出会えない音楽との出会いを可能にする。インベンションとはこの意味で、自分の発想の内部(既知の音楽や既知の価値観)から外部にある未知の価値観へと跳躍することであり、ひらめきを得るためにはそのような跳躍を可能とする「環境」を積極的に作ることが重要だと野村氏は主張する。

 

 最後に野村氏は、このような考え方をそのまま曲に具現化したものとして、自身が作曲した「ピアノと管弦楽のための『だるまさん作曲中』」を動画を交えて紹介した。この曲はまず、オーケストラ団員が客席の通路から舞台に向かって歩いていき、舞台上にいる指揮者が客席の方を振り向いたときにオーケストラ団員が演奏を止めるという「だるまさんが転んだ」が行われる場面から始まる。振り向いた時にまだ音を鳴らしている団員はその都度舞台に上がれと指揮者に言われ、最後は全ての団員が舞台上に集まりチューニングをして曲が終わる。曲が終わると指揮者は指揮台の横に敷いた布団で寝る。

 

 野村氏いわく、この曲は「曲ができないということ」自体を曲にしたものだ。作曲当時は大学教員をしていて多忙であったため、追い詰められた野村氏はピアノの横に布団を敷き、寝ていても何かひらめいたらすぐに演奏して確認できるよう自宅の部屋をセッティングしていたところ、この状態をそのまま曲にしようと思い立ったという。

小田部胤久(人文社会系研究科教授)

東京大学文学部にて美学芸術学を学ぶ。同大学院人文科学研究科、ならびにハンブルク大学で研究に従事。1988年、神戸大学文学部助教授、1996年、東京大学大学院人文社会系研究科助教授、2007年、同教授、現在にいたる。美学会会長、日本18世紀学会代表幹事、日本シェリング協会会長、国際美学連盟副事務局長などを歴任。2007年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞(ドイツ連邦共和国)。

 

角野隼斗(ピアニスト)

東京大学大学院情報理工学系研究科在籍(2020年3月現在)。18年ピティナピアノコンペティション特級グランプリ、及び文部科学大臣賞、スタインウェイ賞の受賞。19年リヨン国際ピアノコンクール第3位。 17年ショパン国際コンクール in ASIA 大学・一般部門アジア大会にて金賞受賞、その他受賞多数。これまでに国立ブラショフ・フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、千葉交響楽団等と共演。20 年には東京大学総長大賞を受賞。

 

園田涼(作曲家=ピアニスト)

東京大学文学部卒。ゲーム音楽の提供、TBSのソロ・ヴォーカリスト・コンペティション番組「Sing!Sing!Sing!」審査員、同局「音楽の日」ハウスバンドピアニスト、高橋洋子×京都市交響楽団による「残酷な天使のテーゼ」オーケストラ編曲、JUNHO(from 2PM)バンドマスター、GACKT×東京フィルハーモニー交響楽団「華麗なるクラシックの夕べ」ピアニスト、フジテレビ「ヨルタモリ」オープニング・エンディングテーマの演奏、クレモンティーヌら他のアーティストへの楽曲提供など、幅広い活動を行っている。

 

野村誠(現代作曲家)

京都大学理学部卒。94年にBritish Councilの招聘でヨーク大学大学院で1年間共同作曲の研究。京都女子大学専任講師、インドネシア国立芸術大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授などを経て、現在、日本センチュリー交響楽団コミュニティプログラムディレクター。主な活動に、東南アジアの作曲家との原発をめぐる共同作曲「魚も核武装する」、香港の知的障害者施設での3カ月のレジデンス、日英共同のコミュニティ音楽劇「Whaletone Opera」、NHKの音楽番組「あいのて」の監修と出演など。

 

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