
東大の歌として「ただ一つ」や運動会歌「大空と」が存在するが、これらとは別に応援歌として「ライトブルーの(淡青の空)」、「闘魂は」、「燃ゆる獅子」などの曲がある。東大の音楽を語る上で欠かせない応援歌の中で、今回は「闘魂は」について見ていこう。淡青の空の下で団結と勝利を誓う、勇壮で高揚感あふれる歌詞を特徴に持つこの歌は1960年に応援歌となり、神宮球場において現在も東京六大学野球の攻撃回に歌われている。長年歌い継がれてきたこの歌について、60年当時東大生だった作詞者の阿部毅一郎さんに聞いた。(取材・安田修梧)

──「闘魂は」を作詞したきっかけを教えてください
当時から、東大の応援歌は学生に広く親しまれていました。しかし当時の東大の応援歌は、「天寵(てんちょう)を負える子ら」といった歌詞がみられる「ただ一つ」など極めて格調の高いものばかりで、応援歌として「闘魂」や「フレー」などの言葉が備える輝きが足りないと感じられました。そんな時、教養学部の掲示板にあった応援歌募集の貼り紙を見てすぐに応募を決めました。当時はおよそ3年ごとに歌が募集されていたと記憶しています。
──当時の東大の雰囲気はどのようなものでしたか
1960年当時の東大は安保闘争真っ盛りで、特に私が住んでいた駒場寮(当時)は、デモ隊の主要な基地としても使われていました。闘争の前線に立っていた樺(かんば)美智子さんが国会で機動隊と衝突した際に亡くなった事件をきっかけに、私たちもデモ隊を組織して対抗し、国会議事堂正門で機動隊と衝突し、顔面を殴打され全治に1週間もかかったことを覚えています。このように、当時は特有の緊張感ある雰囲気が漂っていました。
──現在では想像できない空気ですね。そのような刺激的な環境下で、どのようにして歌詞を完成しましたか
若い頃から大好きだったベートーヴェンが交響曲第九番の歌詞に用いた、ドイツの詩人シラーの「歓喜に寄す」に感化され、3番の「歓喜は今ぞ極まる」とその後の歌詞が流れるように頭に浮かんできました。それでは「歓喜」に代わる楽しいものは何だろう、と考えると「闘魂」が真っ先に出てきました。そこで「勝利の歌」を「勝利の旗」へと同様に変え、1番の歌詞が生まれました。最後に「歓喜」「闘魂」に匹敵する丁度いい言葉はないかと思案し、「団結」をテーマにした2番の歌詞も完成したというわけです。比較的スラスラと、わずか30分ほどで書き上げました。
──応募から採用までの流れを教えてください
応募したところ後日教養学部の方から入選の連絡をいただき、審査委員の方とお話しした上で歌詞に軽微な修正を入れたのち、当時工学部4年生だった山中一由さんに曲をつけていただき、入選曲として発表されました。翌年から東京六大学野球のリーグ戦で歌われ始めましたが、山中さんは間もなく卒業されたため、当時お会いすることはありませんでした。
──卒業後、「闘魂は」と関わる機会はありましたか
91年、東大硬式野球部は東京六大学野球の春季リーグの立教大学戦で通算200勝を達成しました。この知らせを機に翌日、妻ともども、卒業後初めて神宮球場に足を運びました。久しぶりに訪れたため、さすがにもう「闘魂は」は歌われなくなっているだろうと思い込んでいたら、1回のチャンスからいきなり、聴きなじみのあるこの歌が、満席の東大応援席から盛んに歌われ始めました。その試合では「闘魂は」がチャンスの度に5回も球場に響き、深い感慨を覚えました。私の書いた詞が応援歌として現在も親しまれていると知ったのは、卒業から28年も経ったこの日のことでした。作曲の山中さんとは、休日神宮外苑でテニスをしていると近くの神宮球場から「闘魂は」が聞こえてきた、そんな話が新聞に載ると、山中さんから連絡をおただき、お知り合いになり、その後も何度か一緒に食事をして仲を深めました。
──そんな偶然があったんですね。山中さんの他にも、「闘魂は」に関連した人間関係の広がりはありましたか
たくさんありましたね。例えば、以前日本経済新聞の記事で「闘魂は」に関する記事を執筆させていただいた際には、直接の連絡はもちろん、私個人のホームページにも多くのコメントをいただきました。これだけ「闘魂は」が広く愛されているのかと実感しました。他にも、「闘魂は」を応援歌として採用している高校がいくつかあるという話も聞きますし、ありがたい限りです。
──現在も「闘魂は」が親しまれていることをどのように感じますか
第一応援歌として採用されて久しいわけですが、長く生き残って皆さんに歌い継がれている様子を見ると、やはり深い喜びを感じます。応援団のみならず幅広い方に、楽しい歌だとか、良い歌詞だとの評価をいただきます。そういった声を聞くたびに、私自身も非常に嬉しく、心強く感じます。ちなみに、対話型AIにこの歌の講評をしてもらったところ、「現在も多くの人が親しみを覚えるような、東大を代表する曲」という返答をもらいました。
──こういった応援歌という存在はどのような力を持っていると考えますか
応援歌はそれ自体、日本独自の文化体系だと思います。私もテニスなどのスポーツをプレーしますが、選手一人一人としては、単なる「フレーフレー」といった掛け声よりも、観衆からまとまって響く応援歌は非常にうれしく、頼もしく、そして励みになると信じています。皆で心を合わせて声援を送る応援歌の文化は、末長く残り続けてほしいと思います。
──最後に、現在の東大生へのメッセージを聞かせてください
東大は、日本の文化を第一線で守ってきた学校だと考えています。日本における大学の第1号として誕生した世界に誇るべき大学として、政治、経済、そして科学技術の面においても日本が世界のトップを走り続けられるよう、国をリードする誇りを胸に、より一層頑張ってもらうことを期待しています。










