INTERVIEW / OBOG 2016年6月18日

考えながら動け!震災復興プロデューサーに聞く自分らしい生き方のヒント

 

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(写真は佐藤さん提供)

 

 自分のやっていることは果たして本当にやりたいことなのだろうか?自分にしかできないこととは何だろう?東大教育学部を卒業後、一度外資コンサル企業のアクセンチュアに就職し現在は福島で復興に尽力している東大OBの佐藤達則さん(29)。アクセンチュアを2012年に退職し「ふくしま復興塾」を立ち上げ今年で4年目を迎える佐藤さんにお話を伺った。

 

――まず佐藤さんのふくしま復興塾の活動について教えてください。

 

 2013年に始めて現在3年ほど実施しているプロジェクトです。半年のプログラム期間中に主に20代から30代の若い社会人が集まって学ぶ塾をコーディネートしています。震災後に福島だからこそ起こってしまっていたり、他の地域よりも進んでしまっていたりする課題を解決する事業プラン・政策プランを議論し立案しています。例えば避難解除区域に若い人が戻っていないために少子高齢化が進んでしまっていたり、放射能の風評被害のために農作物が売れなくなってしまったりすることがその課題です。

 

――アクセンチュア在籍時にこの事業を始めたきっかけは何だったのでしょう?

 

 そもそも震災後に、福島の高校生向けの起業・ビジネスプラン立案のボランティアを会社で募集していたので、福島出身ということもあり、毎週のように福島まで通い参加していました。金曜の仕事終わりから月曜の出社までです。その時に近い世代で同じように活動をしている仲間と議論したり飲んだりしていました。更にアクセンチュアの最後の半年間は福島の復興のためのオフィスでのプロジェクトに入れてもらい関わり始めていました。その中で福島出身の経営者や福島大学から、若者向けの人材育成をしたいという声があったので、企画から一緒に入って始めたという経緯です。前職の時にボランティアで関わっていたことから運営に入った形です。

 

――退職することに迷いはなかったのでしょうか?

 

 震災直後から、何らかの形で福島に関わりたいと決めていました。

 

――アクセンチュア時代のプロジェクトとはどのようなものだったのでしょう?

 

 福島で携わったのは、CSR(企業の社会的責任――企業が倫理的責任から社会に貢献するための事業などのこと)の一つとしての仕事です。当時は震災直後だったので会津には双葉郡、大熊町から避難してきている子どもたちも多くいました。その子どもたちが学校や地域に馴染んで地元の子供たちと一緒に遊べるような場作りをするために、子供支援のNGOと共に課題調査・ヒアリングから企画、運営のサポートまで一貫してやっていました。

 

――アクセンチュアのときの仕事と比べてふくしま復興塾での仕事で違いは何でしょう?

 

 福島のプロジェクトに携わる前には様々なことをやっていましたが、多かったのは会社の採用戦略立案や、データ分析によるマーケティングの戦略立案などでした。福島ではそれを生かしてNGOを手助けしました。ビジネスである限り全ての仕事に価値はあると思いますが、他人に代用されうるか、自分にしかできないことかという観点で違うように感じます。オリジナルを作り出すか、他人の作ったものを運用するかの違いかもしれません。自分にしかできないだろうことをできているという実感はあります。

 

――自分にしかできないことを見つけるのは簡単ではないと思いますが、佐藤さんはいつどのようにして見つけたのでしょう?

 

 今でも完全に見つけられたとは思っていません。しかし、大学2年生の秋からNPOの活動に携わり始め、社会にとって価値・意味のあることをしたいと思うようになりました。アクセンチュア時代はそれがあまり見えず、悶々としていた時期が長かったです。震災前も地域活性というキーワードに関心はありましたが地元に関心はそれほどありませんでした。しかし震災が生まれ育った福島に起こったことで、その数日後には自分の解決すべき課題は福島にあるのだろうなと思いました。ある種運命的でした。

 

――学生時代のNPOの活動はどのようなことをしていたのでしょうか?

 

 東京・神奈川で高校生のキャリア教育をやっていました。少しだけ先輩のお兄さんお姉さんの等身大の姿を見せることで将来をイメージしてもらうような感じです。高校生のキャリア相談ではこちらからアドバイスするというよりも話を聞いてあげるというのが大事でした。東大に行くような福島高校の後輩ではなくて定時制だったり卒業後に就職したりする生徒なので、アドバイスしようとしてもバックグラウンドが違いすぎるんです。逆に話を聞いてあげると生徒は自分の背景を話すことによって考えを整理できます。また体験談として自分の話もしていました。

 

――クライアントの話を聞いて助言するという構造はコンサルと似ているように感じます。コンサル業界に行くことは学生時代には決めていたのでしょうか?

 

 予めは決めておらず、就活する中で決めました。いくつか内定をもらってその中からコンサルを選びました。最後の決め手としてはどの内定先も定年までやりたいとは思えなかったことです。日系の大手などは定年まで働く雇用形態ですが、外資コンサルだと早いうちにやりたいことを見つけ転職や独立をしやすいと思いました。これを生涯かけてやりたいという仕事が見つかっていたらそこに行っていたでしょうが、見つからなかったので。途中からやりたいことが変わる人も多いですし。大学生にとって今までの人生の2倍である40年も同じ会社で働くなんて想像できますか?できないですよね。

 

――ふくしま復興塾やアクセンチュアでの活動は佐藤さんが教育学部出身であることや学生時代にNPOの活動をしていたことと関係があるように感じます。大学で学んだことが役に立つことはありますか?

 

 確かにコンサルの中でも人事の多い部署にいましたし、今の復興塾も教育に関係があります。しかし今は塾生たちがいかに事業を創るかの方に興味が強いですね。全く役に立たないというわけではないと思うけど、何を学んでいたっけ(笑)。

 

――NPOの活動を始めたきっかけは何だったのでしょう?

 

 大学1年生の頃から運動会の卓球部に所属し部活も講義もしっかりと取り組んでいました。それに友人たちと読書会や勉強会もやって、模範的な大学生のような生活を送っていました(笑)。しかしそれはとても狭い世界の模範じゃないですか。教育学でも大学論なら自分たちの話ですが、非行や校内暴力の話が出てきた時に自分の知らない世界が多いなと思いました。それで自分の知らない世界を色々と見ていたのが大学2年生でした。2年生から所属していた川人ゼミの延長として教育の現場にいってみたいと思いNPOカタリバに行ったのがきっかけでした。

 

――実際に社会の広さは感じましたか?

 

 感じました。例えばある定時制の高校で1時間半の授業時間に一言しか話さない生徒がいました。何も言葉を話さずにそこにじっと座っているだけで、色んなことを尋ねてみても何も反応がないんです。しかし実は小さくうなずいたり首を振ったりしてコミュニケーションを取ろうとはしていました。大学の同級生にしても多少はコミュニケーションを取りづらい人もいましたが、同じように会話ができない人は周りにはいませんでした。後で彼の先生から家庭に事情があると聞きました。進学校から東大に入学した自分には想像できない世界がありました。

 

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――佐藤さんは好きなことやりたいことは今はわかっているのでしょうか?今後はどうするつもりなのでしょう?

 

 いやわからないです。なんとなくこっちの方かなと思っていますが、具体的に何をしたいのかはずっと見つからず悩んでいます。見つからなくても迷いながらなんとなくこっちかなと思う方に少しずつ進んでいます。だけど、とりあえず動けっていうのは好きじゃないんです。とりあえず動けというのは考えることを否定している気がするんです。それがやりたいことじゃないと気づいた時にどこまで戻ればいいんですか?逆に完全に答えが出るまでは動かないっていうのもまた違うと思います。動きながら考えることが大事です。

 

――動きながら考えるとは具体的にどういうことでしょう?

 

 コンサルにいた時は何をやりたいのかわからず悶々としていました。しかし実際に福島に通い企画を始めてみると、迷いながらも何となく正しいだろう方に近づいている実感がありました。こっちの方向に進むべきだろうということを仮説でもいいから決め動き始めて、そして動いている最中も考え続ければ、考えるための材料も増えて机上で考えているよりも何歩も考えを深めることができます。そうやって少しずつ答えに近づくのではないでしょうか。

 

――何となくこっちだろうという感覚はどのようにして得られるのでしょうか?

 

 インプットでしょうか。色んな人から話を聞いたり本を読んだり色んなことに参加してみたりすれば正解に近いものを見つけることができるのではないでしょうか。やりたいことが何もないと言っている人はインプットをしていないだけだと思います。僕自身、読書会で仲間とディスカッションしたりや川人ゼミのフィールドワークで色んなところに行ったりしていました。

 

――悶々とすることは考えることと違うのでしょうか?

 

 悶々としていた時は、漠然と考えていました。でもその考えを深めるための行動があまりできていませんでした。例えば講演会に行ったりはしていましたが、浅い動きしかしていませんでした。時間的にも難しい部分もありましたが。今でもやりたいことを完全に見つけられたとは思っていませんが、今やっていることの延長線上にあると思っています。ふくしま復興塾もその運動の一環なのかもしれません。福島で事業を起こすというのも具体的に見えてまだ抽象的で曖昧です。福島の課題もまだまだ多様でどこから手をつけていいのか難しいです。

 

――ふくしま復興塾のやりがいや困難は何ですか?

 

 やりがいは卒業生が実際に事業を立ち上げ拡大させていくのを目にすることです。ふくしま復興塾に入っていなかったらそんな事業なんてしていなかった人たちも多いですから。困難は、震災から5年経ってしまい「復興」と言っていられないタイミングに徐々になって来ていることです。塾生の募集のみならず、塾生の活動においても支援や協力が減ってしまっています。まだまだ未解決の課題も少なくないですから厳しい状況です。

 

――今後の展望はどのようなものでしょうか?

 

 今福島で起こっている事業のモデルを、他の地域にも展開していきたいと思っています。そのために卒業生が定期的に集まってそのネットワークを利用していくシステムを作りたいと思っています。新しい会社は3年から5年以内に撤退してしまうと言われますが、まさに今その時期に差し掛かりつつあるので踏ん張りどころです。

 

――最後に学生にメッセージをお願いします。

 

 好きなことを見つけている人なんて本当に少ないです。でもコンビニのアルバイトはもちろん社会経験としてはいいですけれど東大に入ったからには一生やるわけじゃないですよね。ノブレスオブリージュじゃないですけど、東大まで来て学んでいるからこそやらなければならないこと・やるべきことは必ずあります。それが好きなことと直結するのが一番良いですし、それが自分の道を見つけるということだと思います。

 

 それはそう簡単に見つかるものではありませんが、だからといって何もしないで動かずにいても誰かが教えてくれるものでもありません。何もせずにいたら見つからないのは当たり前です。そう開き直って、探すための行動を続けていればいつか何か見えてくるのではないでしょうか。僕自身震災が福島で起こっていなかったら未だに迷っていたかもしれません。東大生は考えながら動くことができると思っています。

 

(取材・撮影 冨士盛健雄)

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