COLUMN 2016年6月17日

NHK『とと姉ちゃん』から見る東大 花森安治の青春を「帝国大学新聞」で振り返る

 朝ドラ『とと姉ちゃん』が人気を博している。高畑充希さんの演じるヒロイン小橋常子が、亡くなったお父さんの代わりに家族を守ることを決意し、周囲の人に助けられながら成長する物語だ。

 

 ヒロインのモチーフである大橋鎭子は、戦後を代表する雑誌『暮しの手帖』を立ち上げた人物。「人々の暮らしに役立つ雑誌」をモットーに、全盛期には100万部近くを売り上げた。そして、そのヒロインを支える天才編集者が、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次。『暮しの手帖』の編集長だった花森安治がそのモチーフだ。

 

 昭和きっての名編集者として知られる花森安治は、帝国大学出身のエリートとして大政翼賛会の宣伝部門で戦争に協力し、戦後はその悔恨から、一貫して「人々の暮らし」を重視する編集方針を貫いた。「女性の気持ちを理解するため」おかっぱ頭にスカートという出で立ちで、燃えているストーブを倒す、食パンを4万3088枚焼くなどの、独創的な製品テストを行って、信頼できる情報を読者に提供し続けた。

 

 「ぼくらの暮しと企業の利益とがぶつかったら 企業を倒すということだ/ぼくらの暮しと政府の考え方がぶつかったら 政府を倒すということだ」という力強い言葉を残した花森は、高校時代から編集者を目指し、旧制松江高校から東京帝国大学に進学すると、『東京大学新聞』の前身である『帝国大学新聞』で編集活動を行った。国全体が戦争に向かい、学問の自由が脅かされていった時代に、花森はどのような青春をおくり、どうその思想を形成していったのだろうか。

 

 6月20日に始まる『とと姉ちゃん』第12週から、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次が登場する。今回は、そのモチーフである花森安治が過ごした『帝国大学新聞』を紐解きながら、その人となりや当時の社会情勢を振り返ってみよう。NHKドラマ番組部で『とと姉ちゃん』の制作統括を務める落合将さんにもインタビューを行った。

 

とと姉ちゃん
NHK『とと姉ちゃん』より(左から高畑充希さん演じる小橋常子、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次)

 

母の死 ―旧制松江高校から帝国大学へ―

 

 花森の母よしのが心臓をわずらって亡くなったのは、花森が旧制松江高校に入学した年の夏だった。放蕩者の父の代わりによく働き、花森ら6人の兄弟を育てた苦労人の母だったという。高校1年の夏休みに帰省した花森を病床に立たせて、制服姿をしみじみ眺めていたと、花森が後に懐古している。そのとき母に「あんた、将来どうするつもり」と聞かれた花森は、「新聞記者か編集者になるんや」と応えた。

 

 1933(昭和8)年、花森は東京帝国大学の文学部美学美術史学科に入学した。当時、文学部は定員割れの学科ばかりで、旧制高校を卒業した学生が帝大文学部に入るのは簡単だったらしい。大学1年生になった花森は、病床の母に宣言した通り、編集者や記者の仕事ができる帝国大学新聞に入部した。

 

 当時、6万部を超える発行部数を誇った帝国大学新聞は、知識人による随筆や、帝大の人事などを掲載する日本有数の文化紙だった。帝大卒業生や教授が理事会として経営を担い、学生が編集を、学生以外のスタッフが事務を行うシステムは、公益財団法人となった今の東京大学新聞社と同じだ。軍国主義の嵐が、大学の自治や学問の自由を脅かしつつあった当時、社会問題を鋭く掘り下げる知識人の論考を、学生たちは奪い合って読んだという。

 

 

脅かされる学問の自由 ―反知性主義と戦争に向かう日本―

 

 花森が入学した1933(昭和8)年、京都帝大の法学者、滝川幸辰教授が大学から追放された。著書『刑法講義』や『刑法読本』が「危険思想」であるとして、鳩山一郎文相(鳩山邦夫・元総務大臣や、鳩山由紀夫・元首相の祖父)が滝川教授の罷免を要求。京大法学部の全教授が辞表を出して抗議し、学生も「学問の自由」を守るべく抗議活動を行ったが、当局の弾圧に敗れた。

 

 花森がいた帝国大学新聞もこの問題を大きく取り上げ、「法学部学生も起ち 学生大会を開催」「検束38名に上り 警官ついに教室に入る」など、帝大での抗議活動の激しさを伝えている。花森もこのデモに参加し、学生の検挙に憤りながら記事を書いたのだろうか。

 

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『帝国大学新聞』昭和8年6月26日号(クリックして拡大)

 

 

 5月22日号には、美濃部達吉・法学部教授も寄稿し、大学教授は「専門的の良心にしたがって」「自ら真理と信ずる所を発表しうる自由を有しなければならぬ」と熱弁をふるっている。大学教授が政府におもねった意見ばかりを述べていては、学問の進歩はなく、国のためにもならないという指摘は、80年以上がたった今の社会でもとても重要な意味を持つ内容だ。

 

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『帝国大学新聞』昭和8年5月22日号(クリックして拡大)

 

 京大で明確になった学問への統制は、1935(昭和10)年に、美濃部教授の天皇機関説への弾圧という形で東大にも迫った。30年近くに渡り、研究者の間で受け入れられてきた憲法理論が、不敬であるとして断罪されたのだ。

 

 日中戦争が始まる2年前のこの頃、「学問の自由」を主張して美濃部を擁護する教授は減り、経済学部の河合栄治郎教授(著書『ファシズム批判』などで知られる)が「美濃部問題の批判」という論考を帝国大学新聞に寄稿した程度だった。その河合教授も1939年には帝大を休職させられている。

 

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『帝国大学新聞』昭和10年4月15日号(クリックして拡大)

 

 当時は「皇軍」「現人神」といった言葉が広まった時代だった。高校の同窓会をしていると「無届集会」だと憲兵に摘発されることもあったという。1936(昭和11)年には陸軍の青年将校が首相官邸、警視庁、新聞社などを占拠した二・二六事件が起きた。戒厳令下で新聞は厳しく統制され、事件の批判は許されなかったが、帝大新聞は河合栄治郎教授の論説「二・二六事件について」を掲載。ファシズム批判をあくまでも貫いた河合栄治郎は、1941(昭和16)年に「安寧秩序を紊る(みだる)」として有罪判決を受けている。

 

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『帝国大学新聞』昭和11年3月9日号 (馬場マコト『花森安治の青春』によれば、見出しの文様や飾り罫は花森による書き込み)

 

 自由主義がファシズム勢力によって弾圧されつづけた時代に、花森は帝国大学新聞で青春を送った。当時、3年間で卒業できた大学を、花森は1年留年して1937(昭和12)年に卒業した。卒業後は化粧品会社で広報の仕事を手がけるが、その年の夏に日中戦争が勃発。花森のもとにも赤紙がとどき、帝大卒業から1年後の4月、大阪港から満州に出征する。

 

 1945(昭和20)年、終戦の玉音放送を、花森は東京で聞いた。極寒の満州で結核にかかり、兵役を免除されて帰国したのだ。戦争末期は、大政翼賛会の宣伝員として戦争のプロパガンダ広告に関わった。「ぜいたくは敵だ!」という標語を作ったのが花森だという説もある。

 

wikipediaより
wikipedia「国民精神総動員」より

 

 8月15日の午後、花森は放心状態で東京の焼け野原を歩き、夕暮れどきには上野にいた。上野の高台から、灯火管制で久しく明かりをつけることができなかった東京の街に、次々に灯がともるのを見たという。焼け残った日暮里や鶯谷の町並み、帝大の本郷キャンパスの明かりだろうか。

 

 そのとき花森は決意した。自分が守るべきは、この明かりに象徴されるような人々の「暮らし」であると。帝大新聞の編集部員としてペンを握っていたにも関わらず、大学から学問の自由が奪い去られていくのを止められなかった。大政翼賛会では国民を奮起させるためのプロパガンダを流し続けた。「ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした。言訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。(中略) これからは絶対だまされない、だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予してもらっている」。後に、花森はこう回想している。

 

花森安治をこの時代に取り上げるワケ ―『とと姉ちゃん』制作統括 落合さんに聞く―

 

 その後、花森は大橋鎭子とともに『暮しの手帖』を立ち上げる。その経緯や、その後の花森が「人々の暮らし」に与えた影響は、書店に並ぶ花森安治の関連本や、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』に譲ろう。唐沢寿明さんが演じる花山伊佐次が、ドラマの中でどう描かれるのかとても楽しみだ。

 

 最後に『とと姉ちゃん』の制作統括であるNHKドラマ番組部チーフ・プロデューサーの落合将さんに、この時代に花森を取り上げる意味を聞いた。

 

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−−どうして今『暮しの手帖』を取り上げようと思ったのでしょうか

 

 90年代までの日本は、成長の時代でした。仕事があって、働けば働くほど見返りがあった時代です。そこでは、家族という経済活動の基盤が当たり前のものとして存在していました。そして誰もが、永遠にそういう世の中が続くと思っていた。そういう時代に花森安治を取り上げてもあまり価値を持たなかったかもしれません。

 

 経済が盤石で生活に困らない時代には、人々は自己実現を求めました。恋愛とか、仕事のやりがいによって、世の中や人に認められていくこと。だからテレビドラマもそういう価値を追い求めるものが多かったんです。

 

 でも90年代後半から、バブル崩壊後の不況や、阪神淡路大震災があって、家族を基盤にした社会の安定というイメージが陰ってきたんです。安定した経済の基盤としての家族という、昔は当たり前にあったものが、なかなか手に入らない特別なものになってきています。そうやって暮らしが揺らいでいる。

 

 こういう今の時代には、花森さんが残した「人間の暮らしは何者も犯してはならない」という言葉は、とても強いメッセージ性を持っています。社会不安が増して、未来への見通しが立たない世の中では、工夫して生きるとか、毎日を大切にするというものが、大きな意味を持つようになりました。

 

 今まではコメディタッチのパートでしたが、これから戦争が近づくにつれてお話がシリアスになってきます。唐沢寿明さんの演じる花山伊佐次、6月20日から始まる第12週で初登場します。ぜひお楽しみください。

 

 

***

 

 『とと姉ちゃん』制作統括の落合さんが言うように、成長が目に見えていた時代には、花森の言葉は人々の心を捉えなかったかもしれない。大量生産大量消費が当たり前の世の中では、花森の生き方は時代遅れのように思えただろう。

 

 今年入学した東大生の多くは、バブル崩壊後の不況に生まれ、小学校高学年でリーマン・ショックを、中学生のときに東日本大震災を経験した世代だ。世界的な不況が人々の「暮らし」を襲った1930年代に青春を過ごした花森と、私たちの状況は似ているのかもしれない。

 

 花森安治の過ごした「帝国大学新聞」からは、戦争に向かう昭和の日本で、学生や教授たちが何を考え、どう行動していたのかが見えてくる。全体主義が自由主義を押さえつけていった時代に、学問や言論の自由を守るべく行動した学生や教員たちがいた。学生新聞でペンを握りながらも、人々の暮らしや言論の自由を守れなかった花森の無念から、私たちは何を学ぶことができるだろうか。『とと姉ちゃん』の放送を楽しみながら考えてみたい。

 

(文責 須田英太郎、写真 井手佑翼)

 

参考文献

津野梅太郎『花森安治伝』(新潮社 2013)

馬場マコト『花森安治の青春』(白水社 2011)

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