COLUMN 2019年3月4日

19歳が見た中国⑦ あのスピード感を逆輸入しよう

 

「彼をご覧、日本人は慎重だろう?」

 

 上海をフェリーで発つ前夜、ユースホステルのロビーで休んでいると、二人の男性が入ってきて、ビリヤードを始めた。ビリヤードはルールさえ知らなかったが、二人があまりにも楽しそうなので、私も球を撞きたくてうずうずしてきた。

 「すみません…ビリヤード、教えてくれませんか?」

 「おお!君もビリヤードをやりたいって?喜んで教えてやるぜ!」

 これが、洛陽から来た電気技術者にして、ビリヤードの達人でもある高さんへの入門の瞬間である。高さんの指導はまさに熱血だった。

 「いいかい!ビリヤードってのは、キュー(撞き棒)の持ち方が命さ!まずは俺の持ち方を真似してみろ!…いや、二の腕は動かすんじゃねぇ…目線は遠くにして…球の上半分のここら辺を撞くんだぞ…」

 高さんの分かりやすい熱血指導のおかげで、私はどんどん球を落とせるようになった。

 「君、狙いを定めるのがうまいや!ってか、上達早ぇえな!脈あり!」

 ちょうどロビーにやって来たイタリア人に、高さんが声をかけた。

 「おい君!彼とビリヤードで対戦しないか?日本対イタリア、国際試合だぜ!」

 一時間前に初めてキューを握った私が、ビリヤードの本場から来た相手と国際試合とは、わくわくするじゃないか!勝負が進むうちに、ギャラリーもわらわらと膨らんできた。お互いあと一球落とせばという瀬戸際で、狙いが合わずにハードな展開。集中力を総動員して、ぎりぎりの勝利をつかんだ。イタリア人と握手したとき、汗がどっと噴き出したのを覚えている。

 

 ビリヤード自体楽しかったのだが、それ以上に印象に残ったのが、高さんが私の試合を見ながら、ギャラリーに向けて発した言葉である。

 「彼をご覧、球の狙い方が精密で丁寧だ。俺が今まで見てきたなかでも指折りだな。だいたい日本人ってのは慎重に決定し、丁寧に作業するんだ。日本の製品やサービスが高品質な訳が分かるってもんだ」

 私はこれを聞いて、痛いところを突かれたような気がした。激動の現代にあって、高さんが褒め称えた日本人の傾向は、むしろ裏目に出ていないか。

 

 

「10代にしてひとかどの人物!」

▲「10代にしてひとかどの人物!衣服販売で年収百万元」(南方都市報 2018年9月1日付 12面)

 

 中国には、リスクを恐れない圧倒的なスピードで、貪欲に夢を追う若者がいる(第3回の記事も参照)。そのサクセスストーリーは一瞬で知れ渡り、同世代の若者を刺激する。例えばこんなふうに。

 

10代にしてひとかどの人物!衣服販売で年収百万元

黄梦(ファン・メン)は2000年福建省生まれの18歳。困窮する家族を養うため、13歳から工場や理髪店で猛烈に働き、14歳でファッション用品のネットショップを始めた。転機は17歳。動画共有アプリのTik Tokに、クールで中性的なファッションスタイルを自身がモデルになって投稿。400万のファンを集めるやいなや、広州に一人飛び出してオンラインセレクトショップを開業した。黄梦のスタイルに合う服を揃え、月の売り上げは20万元(320万円)に達する。たった3人で切り盛りするセレクトショップは多忙だが、三日三晩ぶっ続けで働いたこともある黄梦にとっては何でもない。「次は実店舗を開きたい。我很年轻,失败了也能爬起来(まだ若いから、失敗してもまた這い上がれる)」。

 

 黄梦の、同世代とは思えないほどの才覚に、私は身震いしてしまったが、旅先で出会った人の中にも、黄梦のような野心溢れる起業家がいた。上海から大阪に帰るフェリーで、大学生だと思って声をかけたお兄さんは、なんと貿易会社の経営者だった。世界有数の卸売団地として有名な浙江省義烏(イーウー)で創業し、主に日本に玩具を輸出しているという。「今度中国に来るときは、義烏を見に来な!義烏で売っていないものは、世界のどこを探しても売っていない」と彼は豪語する。「関西のある会社が、わが社と高額契約を結んでくれたんだ!これから社長に挨拶に伺う。これを突破口に、日本への輸出量を激増させるんだ」手土産の紹興酒の瓶を握りしめながら、熱く語る姿が忘れられない。

 

 

中国に集まる外国人、外国へ飛び出す中国人

 

 チャイナ・パワーのもう一つの原動力は、挑戦の場を求めて中国に集まってくる外国人だ。その勢いはゴールドラッシュに近い。中でも、商業の都・上海/広州と、テクノロジーの都・深圳の吸引力が桁外れだ。たった数日の滞在でも、米国、アルゼンチン、イタリア、イラン、エジプト、韓国、セルビア、ドイツ、フランス、ロシアから来た人に出会った。セルビア出身の30代のエンジニアは、米Googleで働いていたが「もっとワクワクする仕事があるだろう」と前職を辞めて深圳に来た。「今日もスタートアップを一社訪問してきた。彼らは国外に打って出るために外国人の視点が欲しいんだ。あと何社かと話して、条件の良いところに転がり込むとしよう」

 山東省済南(ジーナン)にアルゼンチンから移住したフランチェスコは、オンライン英会話で教えて資金を蓄え、創業の機会を狙う。「英語教育熱のおかげで、外教(ワイジャオ;外国語(英語)教師)の待遇は驚くほど良いんだ。1日2時間働けば、飯を食っていける。外教になるのは簡単さ。僕なんか、母語はスペイン語なのに、欧米人の顔だからまあ良かろう、と採用された」。彼はなぜ中国に来たのか。「アルゼンチンは政治も、経済も、文化も、技術も、何もかも停滞している。スリリングな人生を送るために、スリリングな環境を探したら、ここだった」。

 

 外国へ出ていく中国人の流れも太い。第6回で登場した四川出身の大学生・科奇は、スペイン語科を卒業し、スペインの大学院に進学する直前だった。彼が教えてくれた事実は興味深い。「中国の大学が、スペイン語科とフランス語科を続々と新設している。この二つの人気は急上昇中なんだ。というのも、スペイン語科なら中南米、フランス語科ならアフリカに行けば必ず職がある。中国の政府機関や企業の現地通訳だけでも、膨大な空席がある。卒業生は引く手あまたさ。僕の同級生の中でも、若い間は中南米に行って稼いでくるという奴が多い。僕みたいにスペイン文学を研究するなんて、圧倒的マイノリティさ」

 

清末の中国に似ている平成の日本

 

 1840年のアヘン戦争から70年のうちに、中国は西欧列強によって半植民地状態にされてしまった。日本は明治維新を遂げ、列強の仲間入りに成功した。私の考えでは、一国の盛衰を決めるのは、能力のある人物が権力を持てるかどうかである。ここでいう能力とは、迅速に意思決定する能力を指す。当時の清朝では、科挙によって選ばれた官僚たちが実権を握っていた。ところが科挙の内容は、四書五経などの解釈に偏り、政務とは関係が薄かった。皇帝自らが受験者の人物を見極める殿試も形骸化していた。清朝には、内憂外患に迅速に対応できる人材が不足していたのである。一方日本では、坂本龍馬や勝海舟、岩崎弥太郎のように、内務、外交、貿易に長けた人材が実権を握り、近代化の事業を次々と実行していった。

 

 いま、日中の形勢は逆転しているように見える。政界に注目しよう。共産党の指導層は、実力・成果ベースの熾烈な権力闘争を勝ち抜いてきた。日本の閣僚は、選挙の当選回数の多い政治家から選ばれるが、実力・成果が選挙の当選回数に比例するかどうかは疑問だ。経済界はどうだろうか。中国の経済界のリーダーは、アリババの馬雲氏やテンセントの馬化騰氏に象徴されるように、しばしば年齢が若く、自身が創業者で、市場での競争を勝ち抜いてきた。そのあとには、黄梦や貿易会社のお兄さんのような貪欲な起業家が星の数ほど続くだろう。一方、日本の経済界のリーダーの多くは、終身雇用・年功序列制のもとでトップに上り詰めた60代。日本型のリーダーが経験してきたのは、基本的に会社内での競争である。彼らは今までずっとサラリーマンとして働いてきたのに、いきなり経営を任される、とも言える。若者たちも、新卒一括採用というレールの上で「キャリア設計」を立てがちだ。

 

 中国型リーダーと日本型リーダーの、意思決定のスピード差は、冷戦終結後の激動の30年で、中国の発展と日本の停滞をもたらした。平成の次の時代を担う私たち若者は、あのスピード感を逆輸入する必要がある。

 

 日本から海一つ挟んだ向こう側に、これほどスピード感の違う世界がある。東京大学の同級生たちにそう伝えたい一心で、筆を進めてきた。19歳という若さだからこそ、会えた人、行けた場所、聞けた話。7回の連載にぎゅうぎゅうに盛り込んだつもりだ。

 

連載を終えて

▲「19歳が見た中国」執筆にあたって、アイデアを書き出した黒板

 

 「19歳が見た中国」を最後まで読んでいただいた読者の皆様、ありがとうございました!連載を重ねるたびに直接感想を伝えてくれた皆様には、特に感謝しています。この連載を機に、春休みに中国に行くと決めた友人もいて、反響の大きさに改めて驚いています。

 中国での3週間は「話す相手も行く場所も100%自分の創意工夫で組み立てた、自分のための『研修』」と第一回の記事では述べましたが、実際には多くの方の手助けがあったからこそ実現できたものです。TLP中国語で教わった阿古智子先生(総合文化研究科・准教授)と王前先生(同前・特任准教授)は、私たち駒場の学生が中国の優秀な学生と交流できる場を精力的に作ってくださいました。中国語一列で教わった相原まり子先生(同前・講師)と中学時代の中国語の恩師である徐静先生(長崎県)は、出発前に中国滞在の実践的なアドバイスをくださいました。TLPで教わった白佐立先生(総合文化研究科・特任准教授)は、帰国後に私の体験談を頷きながら聞いてくださり、「19歳が見た中国」をまとめていくうえでのヒントをくださいました。お礼申し上げます。

 復旦大学、中山大学、深圳大学、武漢大学の学生の皆さんには、観光客として通り過ぎるだけでは見えない「内部事情」をたくさん教えてもらいました。彼らは私のつたない中国語を熱心に聞き、分かりやすい言葉で話してくれました。シェアバイクに乗せてくれたり、おいしいご飯の在り処を教えてくれたりと、旅先でのいろいろな便宜も図ってくれました。感謝しています。皆さんのうち何名かには「声付きで」記事に登場してもらいました。

 本連載に触発されて、「○○歳が見た○○」が無数に生まれ、シェアされることを願っています。

 

文・写真 松藤圭亮 (理Ⅰ・2年)

 

【19歳が見た中国(全7回)】

①フェリーに乗って、ぶっつけ本番中国語

②学校の近くに、安くてうまい飯あり

③石橋を「叩く前に」渡る

④爆走出前バイクに見る「超級」便利社会の裏側

⑤字は書けなくても、スマホは使いこなす ~テクノロジーの都・深圳へ~

⑥大学生、世代差、対日観、党

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