東大には15の研究科と11の附置研究所が存在し、政治学に限っても法学政治学研究科や社会科学研究所など多くの部局が担っているが、ここでは、東大に所属する研究者により2025年に公開された政治学に関する研究成果から三つを紹介する。(執筆・峯﨑皓大)
候補者名は何番目にあると得票が伸びる?
7月20日に第27回参院選が行われた。投票所の投票ボックスには候補者リストが掲示されているが、そのリスト内の何番目に各候補者の名前が掲示されるのか。これは公職選挙法により選挙管理委員会による「くじ」によって決められている。つまり名前の配置場所はランダムに決まる。福元健太郎教授(東大大学院法学政治学研究科)はそのランダム性を用いて自然実験(現実に起こっていることを利用して因果関係を調べること)を行い、候補者リスト内の名前の配置がその候補者の得票に与える効果についての研究を行った。投票用紙の候補者名の位置が得票率を伸ばすのかについての研究は多く存在するが、その効果に関する一貫したエビデンスは存在せず、その理由として福元教授は候補者の掲載順がランダム化されていないことを指摘する。本研究は2016年の参院選東京選挙区が対象で、日本の選挙候補者の名前の配置はランダム化されているため、その効果を測定するのに良い条件が整っている。それに加えて、日本の選挙では世界では珍しく自書式投票であり、多くの研究が行われてきた欧米諸国とは異なり候補者リストが縦書きで読む順番が異なるという点で新しい。結果は候補者リストの右上に候補者の名前がある場合は0.560%得票率を伸ばし、他の位置では特に効果は認められなかった。選挙に関する研究はこのような身近な「なぜ?」や「本当?」に関わるものが多く、これを機に選挙に関する研究を調べてみるのはどうだろうか。
民主国家では景気、独裁国家では抗議活動が選挙日程を左右━━新データセットで検証
民主主義指標の発表で知られるスウェーデンのV-Dem研究所は3月13日に『民主主義レポート2025』(DEMOCRACY REPORT 2025)で過去20年間で初めて民主主義国家(88カ国)が独裁国家(91カ国)の数を下回ったことを発表した。日本の周辺国では中国や北朝鮮、ロシアが独裁国に分類され、ポーランドやギリシャ、ルーマニアなどの欧米の民主主義国においても民主主義が後退している。独裁国家に分類される国の中にも選挙を行う国は存在し、ロシアや、フィリピン、エジプトなどがそれに該当する。東島雅昌准教授(東大社会科学研究所)らは1945年から2023年までの民主主義国家、独裁国家における選挙のデータセット(ETAD)を作成した。このデータセットには選挙が行われた日付や、その日付は予定日からどれほど延期または前倒しされたのかという、時間に関する詳細なデータが含まれている。とりわけこのデータセットは民主主義国家と独裁国家両方の議会選挙と大統領選挙のデータを網羅しているため、今後の比較政治学の分野における研究を前進させるだろう。東島准教授はこのデータセットを用いて、民主主義国家では好景気を利用して選挙が前倒しされる傾向にある一方で、独裁政権は抗議活動やクーデターなどの脅威に応じて選挙時期を変更することを明らかにした。民主主義の後退が進み、その根本的価値が問い直される現在、政治体制研究の重要性はますます高まっている。本データセットは、比較政治学を新たな段階へと押し上げるだろう。
欧米の“対立構造”は例外だった?ナショナリズムと環境主義の関係のグローバル研究
3月26日に文部科学省と気象庁が『日本の気候変動2025』を発表した。報告書によると、台風の強度が強くなったり海面気温や温度が上昇したりとさまざまな点で日本に影響がある。世界的にも気候変動に関する関心は高く、気候変動に関するCOP30会議が今年11月10日から21日までブラジルで開かれ、大きな注目を集めた。「環境主義」を掲げる政党はヨーロッパを中心に増えてきている。ドイツの緑の党に見られるようにナショナリズムと環境主義は政治スペクトラムの対局に位置付けられることが多かったが、近年の研究では必ずしも対立し合うものではないことが分かってきた。中井遼教授(東大先端科学技術研究センター)は各国の価値観調査のデータを用いてナショナリズムと環境主義の関係についての研究を行った。研究により、ナショナリズムと環境主義の関係は各国の経済発展の度合いによって大きく異なることが明らかになった。例えば欧米以外に目を向ければ、ナショナリズムと環境主義が結びつく例は広く存在し、欧米のナショナリズムと環境主義の対立構造は欧米の経済発展の度合いによるものであるかもしれないとも考えられる。また、環境主義は必ずしも国際協調を前提としないことも明らかになった。決して決定論的ではないナショナリズムと環境主義の関係──日本において環境主義が政治の中でどのような位置でどのように語られてきたのか、これを機に考えてみてはどうだろうか。











