文化

2021年5月4日

本の世界をもう一度 自粛、読書に飽きた人へ

 新型コロナウイルス感染症の流行により、外出自粛の必要性が叫ばれ始めてから1年近くになる。「ステイホームの時間を読書に使おう」と、一度は考えた人も多いはず。そして試みたものの読書に飽きたり壁を感じてそもそも始められなかったりした人もいるのでは。そんな人に、今回は家の中の狭い世界から解放してくれる2冊を紹介し、飽きない読書の方法論を提案する。

(構成・藤田創世)

 

動物に魅せられて

『ソロモンの指環』コンラート・ローレンツ

 

ハヤカワ文庫NF、税込み814円

 

 章立てを見てみよう。「水槽の中の二人の殺人犯」。ミステリーだろうか? 「モラルと武器」。政治学関係? いやいや、本書は動物の行動についての本だ。虫、魚、鳥、けものの生活や繁殖のドラマを緻密な観察を基につづる。

 

 本書の魅力は、思わず吹き出してしまうような筆致と、描き出されている動物たちの様相の興味深さだ。まずは著者の紹介から始めよう。コンラート・ローレンツは動物行動学の権威として知られる、オーストリアの研究者だ。特に動物が幼少期などに特定の物事を覚え、一生涯忘れないという「すり込み」の研究で知られる。本書にも、彼を母親と認識しどこまでも付いて来た「ガンの子マルティナ」の逸話が愛情深くつづられる。

 

 何よりも動物への愛情に貫かれた彼の文体は、同じくらいのユーモアをまとっている。とにかくワードセンスがいい。率直かつちょっとだけ大げさな物言いだ。ぜひ本書を手に取り、文脈を踏まえた上で言葉一つ一つを楽しんでほしい。また、彼はやることも面白い。動物とコミュニケーションを取るために変わった行動に出て、近所からは奇人扱いだったという。記者は電車の中で頬が緩むのを抑えられなかった。

 

 先ほど「虫、魚、鳥、けもの」などと雑にくくったが、本書を読んだ後にはそのような呼び方をするのが申し訳なくなるくらい、彼らに親しみを覚える。「水槽の中の二人の殺人犯」が意味するところのゲンゴロウの幼虫とヤンマのヤゴが、どれほど効率的に、興味深い狩りをすることか。読んだ後には、彼らをただの虫と軽んじることはできなくなる。川遊びの際には、彼らを真剣に恐れた方がいい。

 

 終章「モラルと武器」で筆者は人類に警鐘を鳴らす。牙のような強力な武器を持つ動物ほど、それによって仲間を傷付けないような社会的抑制も発達しているのだという。次々に兵器を生み出し、それを制御する能力が追い付かない生物は人間だけだ。笑いあふれる一冊の最後に、はっとさせられた。

 

忘却の霧の中で

『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

 

早川書房、税込み2090円

 

 中世のイングランドには不思議な霧が掛かっていたようだ。厳しい自然、あるいは超自然の存在から互いを守り合うようにひっそりと暮らすブリトン人の老夫婦が、遠くの村に住んでいるはずの息子に会いに行こうと決意するところからこの物語は動き出す。驚くべきことに、夫婦は息子がどこの村に住んでいるのか、どんな人間だったか、果てはどんな顔だったかさえも、記憶していないという。あらゆる記憶が霧の向こうに隠される世界。そんな足元の不安定さを夫婦と共有しながら、読者の心も旅立つ。

 

 とあるサクソン人の村で、夫婦の旅に同行者が現れる。残酷な鬼に連れ去られるも生き残った心強き少年と、夫婦同様たまたま通り掛かり、少年を救出した戦士だ。4人となった一行は、共に歩みを進める中でささやかな信頼関係を築く。ただ、もちろんこの2人はただの親切だけで付いてきたわけではない。彼らなりの秘めた思いがある。魅力的でミステリアスな登場人物たちとの出会い、彼らの言葉、そして渦巻く情念が、夫婦を霧の正体に、その先に待つ失われた記憶に、そして取り戻した記憶が教えてくれる新たな想いへと導く。

 

 私たちの情念にはさまざまな種類があることは言うまでもないだろうが、中には日常のうちに覆い隠されているものもある。特に自粛を強いられる現在のような代わり映えしにくい生活の中では、決して譲らないという意地や強烈な恨みといった激情に駆られることも少なくなる。ファンタジックな世界観の中で思いの交錯を描いた本作を通して、私たちは人間が「感じられること」の範囲の広大さを思い出し、思い知る。

 

 夫婦は少しずつ記憶を取り戻す中で「全てを思い出すこと」に恐怖を抱く。忘れていた方がいいこともあるのではないか。さりとて、長年連れ添ったはずなのにその日々の大部分を覚えていないのは悲しい。過去に何があったとしても、愛は不変だろうか。過去を逐一記憶できていたとしたら、今のような愛情を互いに抱けていただろうか。過去に向き合うことの葛藤は、読者にとって自分と向き合うことのヒントともなり得る。

 

読書に飽きた人へ

 

 読書に壁を感じる人は多いでしょう。記者もその一人です。「話が長いと疲れる」「時々、内容が入ってこない」などの症状にいつも苦しんでいます。ここでは、そういった症状との付き合い方をご提示します。

 

 まずは「話が長いと疲れる」についてです。記者は自分の親指の横幅より厚い本には手を付けません。『忘れられた巨人』はギリギリです。読み急ぐと疲れるので、何日にも分け、暇な時に時々内容を思い出すと味わい深いですよ。

 

 「時々、内容が入ってこない」については「入ってこなかった分については諦める」のが良いでしょう。その一節が入ってこなかったのは運命です。内容が一部飛び、主観や最近の体験に大きく引きずられた解釈をし、そうして自分だけの読書体験になるのだと、ポジティブに捉えています。皆さんも気負わない読書ライフを。

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