学術

2019年12月19日

国語教育・メディアから見る ことばの「正しさ」とは

 メディアなどで取り沙汰される「誤った」ことばの数々。しかし、本来変わり続けることばに「正しさ」などあるのだろうか。その「正しさ」は何によって規定されるのだろうか。国語教育に携わる専門家と、新聞で「正しい」ことばを発信し続けてきた編集者と共に、教育・メディアの立場からことばの「正しさ」について、再考したい。

(取材・山中亮人)

 

伝える相手に配慮を

 

宇佐美 洋(うさみ よう)教授(総合文化研究科)97年人文科学研究科(当時)博士課程中退。博士(日本語学・日本語教育学)。国立国語研究所准教授などを経て、19年より現職。

 

 「正しさ」がぶれる理由に、ことばの変化がある。一般的に言語変化は「労力を減らす方向に向かっている」と日本語学・日本語教育学を専門とする宇佐美洋教授(総合文化研究科)は話す。例えば「してしまう」が「しちゃう」となったり、ガ行鼻濁音が通常の濁音に統一されたりするのは、発音や記憶の負担を減らすためと考えられる。

 

 しかし、個人が勝手に労力を軽減しようとするならば、言語体系がとめどなく崩れていってしまうのではないだろうか。「その心配はない」と宇佐美教授。「ことばは個人の内部でのみ働くものではなく、他者との意思疎通のためにも使われます。社会的に運用されることで、急激な変化は食い止められています」

 

 宇佐美教授は、ことばの「正しさ」とは必ずしも言語学的に決まるものではない、と述べる。例えば、一般に「こんにちわ」という表記は誤りとされる。「こんにちは」は、元々「今日は」に由来しているからだ。しかしこの「は」が助詞であるならば、「こ」だけが高いアクセントで発音されるはずだが、実際はそうなっていない。ここからこの「は」はすでに助詞としての意味を失っており、「は」と書くべき根拠はすでに失われているとも言える。「こんにちわ」が誤りとされるのは、単に多くの人がそれを誤りと教えられてきたからなのだ。

 

 さらに「文法の捉え方が言語学者と学校教育とでは異なる」と宇佐美教授は語る。言語学者にとって文法とは、実際の言語活動を観察することで発見される「言語使用のパターン」にすぎない。それが学校教育では「守るべき規範」として、強制力を持って扱われるようになってしまう。しかし「教育においてそうした規範はやはり必要」だともいう。「特に初学者にとっては、『まず学ぶべきモデル』が決まっていないとやりにくいですよね」

 

 それでは、国語教育における「正しさ」は何が重視されるべきなのか。宇佐美教授は「ことばの形式だけでなく、自分が使ったことばがもたらす社会的影響に着目すること」を挙げる。例えば受身と可能が区別できる「ら抜き言葉」は、言語学的には「乱れ」でなく「進化」であるが、ら抜きを使うことで不愉快に思う人もいる。こうした「他者の不快感」に思いを致すことはやはり大事だという。「ことばの正しさは、場面により、相手により変化します。あらかじめ決まっているルールや論理に従うだけでなく、相手の心情も考慮し、最もふさわしいことばを自分の責任で選択していくという態度が大切」と宇佐美教授は述べる。

 

世間の数歩後ろから

 

関根 健一(せきね けんいち)さん(日本新聞協会)79年同志社大学卒業、81年立教大学卒業。読売新聞社入社後、用語委員会幹事を務めた。現在は日本新聞協会用語専門委員、文化審議会国語分科会委員。著書に『なぜなに日本語』(三省堂)など。

 

 新聞で見られる表記統一や使用語彙は何に基づいて定められているのだろうか。新聞社に勤め、記者として記事の執筆や校閲に携わってきた関根健一さんは「表記統一をする理由はそもそもどこにあると考えますか」と問い掛ける。表記統一は、読み手にとっての分かりやすさを確保するために行われる。同じものを指すことばに表記の揺れがあったとき「この区別に意味があるのだろうか」と考えさせてしまい、肝心の文意が理解しにくくなる可能性があるのでは、という。

 

 表記統一の目安の一つは常用漢字表だ。例えば「とる」は「摂る・獲る」などさまざまに書かれるが、常用漢字表に従い、代替可能な「取る」に統一している。ただし、漢字表に完全に従うわけではない。常用漢字で書き換えていた「憶測」を検討の結果、「臆測」に戻したこともある。その後、常用漢字表の改定があり、「臆」が追加された。新聞表記と国語施策は補完し合う関係でもある。

 

 「絶対的な『正しさ』など存在しない。自分が慣れ親しんだことばが『正しい』と意識されているだけでは」と関根さん。ただし、ことばの急激な変化は望ましくないとも。世代間のコミュニケーションが成立しなくなる恐れがあるからだ。そのため、ことばについては「新聞は世間より数歩後から付いていくくらいがいい」のだという。

 

 ことばの「正しさ」を判断する要素として、伝統性、広範性、合理性という三つの要素を関根さんは挙げる。このうち新聞が最も重視するのは伝統性。文化の連続性を保てるのと、意味の捉え方のぶれが少ないからだ。しかし、伝統性と広範性とは対立する場合がある。例えば「役不足」は本来「自分にとって役目が軽すぎる」という意味だが、「役目が重すぎる」という理解が若い世代を中心に広まっている。このままこの変化を放置しておく合理性はあるだろうか。新しい概念や微妙なニュアンスを表すというのであればともかく、「役目が重すぎる」を示すなら「力不足」と言えば済み、あえて「役不足」を正反対の意味に変えてまで使う必要はない。本来の意味を守っていく方がコミュニケーション上、有益ではないかという。

 

 それでは、どのように広範性を測るのだろうか。それを調べるには文化庁の実施する「国語に関する世論調査」が役に立つ(図1)。本来の意味と世間で捉えられている意味にどれだけ開きがあるかが分かる。「正しいか、誤っているのかという視点で取り上げられがちですが、それは適切ではありません。そのことばがどういうふうに用いられる可能性があるかを知っておくために、活用したい」

 

(図1)文化庁が発表した2018年度「国語に関する世論調査」の結果

 

 「国語に関する世論調査」には広範性を調べる以外に、学習効果の面でも意義がある。「役不足」は平成14年度の調査時点では本来の意味で回答した人は27.6%だったが、平成18年度では40.3%に上昇している(図2)

 

(図2)平成18年度の結果では「役不足」の本来の意味での回答率が増えた(文化庁ウェブサイトより)

 

 今後は海外からの居住者が増加し、多様なことばが増えていくことが考えられる。関根さんは「異なる他者のことばを受け入れ、自らのことばを顧みる機会になる」と話す。「『正しさ』は決して一つではありません。お互いのことばを認め合うことで分かり合うためのコミュニケーションを実現していければ」


この記事は2019年12月10日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。

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