インタビュー

2021年5月13日

好きなことに熱中する毎日を 東大卒ミュージシャン・グローバーさんインタビュー

 東大で音楽活動に打ち込み、現在はミュージシャンとしての活動を主に、ラジオやテレビ、YouTube などで幅広く活躍するグローバーさん。音楽に専念するため東大を中退した後に再び東大で学び直し、卒業した経歴を持つ。グローバーさんがボーカルを務めたバンド「SKA SKA CLUB」の前身となった東大のサークルでの仲間との出会いや、中退・復学した時の話、五月祭の思い出などを聞いた。

(取材・弓矢基貴)

 

 

「バンドサークルの仲間と安田講堂の前で演奏しました」

 

ーー東大を受験された理由は何ですか

 

 まず、何より「国立大学に行きたい」という思いが強かったです。当時、ちょうど父親が企業を移るタイミングで世の中が大きな不況の流れになり、転職がスムーズにいかない時期が長引いていました。僕も子どもながらになんとなく家計が厳しいことは理解していたので、学費が比較的安い国立大学に行くことで、経済的な負担を軽減させたいと思っていました。

 

 そして、僕は小・中・高と桐蔭学園に通っていました。進学校なので、周りの友人もレベルの高い大学を目指していた環境の影響もあり、当時の僕の大学受験に対する志は高かったように思います。学校での成績は悪い方ではなかったため、どうせなら国立大学の中でもトップの大学を目指そうと思い、東大を受験することにしました。

 

ーー五月祭の思い出はありますか

 

 とても楽しかったです。毎日のように時間を共に過ごしてきたバンドサークルの仲間と一緒にライブをしました。僕が東大に入学したのは1997年で、当時は日本のロック・フェスティバルの先駆けであるFUJI  ROCK  FESTIVALがちょうど始まった頃です。まだフェスなどのイベントがあまり行われていなかった時代に、安田講堂の前のステージを使って大勢の観客の前でライブをできるのがすごく嬉しかったのを覚えています。楽し過ぎて終了時刻をオーバーしても続けちゃって、曲の演奏中にスピーカーの音を強制的に止められました(笑)。

 

 このように自分の活動の成果を発表する機会は非常に貴重だと思うので、ぜひ今の学生の方々にも経験してほしいのですが、新型コロナウイルス感染症の流行でそのようなイベントの開催が制限されている現在の状況は悲しいですね。そんな中、五月祭はオンラインとはいえ工夫して開催されている数少ないイベントだと思うので、積極的に参加して盛り上げていってほしいです。

 

五月祭当日(写真はグローバーさん提供)
五月祭での演奏(写真はグローバーさん提供)

 

音楽に熱中して中退を決意 その後再び東大へ

 

ーー音楽を好きになったきっかけについてお聞かせください

 

 子供の頃によく見ていた教育テレビで、ドラムを叩くおじさんと人形が出てくる番組があったんです。それを見てドラムが好きになり、家で枕を叩いたりしていたのが始まりです。小学校に入ると「鼓笛隊」という放課後に音楽をするクラブに入りました。音楽の授業では触れない楽器を自由に演奏できるのが楽しかったです。特に小太鼓や大太鼓を思う存分叩くのが好きでした。次第にドラムに熱中していき、本格的に学びたいと両親に頼み込んでドラム教室に通い始めたのが小学校3年生くらいの頃の話です。

 

ーー東大での音楽活動はどのようなものでしたか

 

 東大に入学後、いくつかの音楽サークルに入りました。僕が好きだったのは、ファンクやソウルといったいわゆるブラックミュージック。スティービー・ワンダーやアース・ウィンド・アンド・ファイアーなど、グルーブが強くブラス(金管楽器)が入っている音楽を聴いていました。そんな中、サークルで出会った仲間が「ブラスセクションを入れた音楽をやろう」と言い出して。彼は高校でブラスバンドをやっていて、ブラスを吹く彼の友人たちと一緒に音楽をしたのが楽しかったです。その音楽が僕の好みにすごくはまって、当時の自分にとって革命的でした。

 

 この時の「こういう音楽が欲しかった!」という感覚が発端で、どんどん音楽にのめり込んでいきました。高校生の頃からオリジナル曲を作り始めて、ライブハウスで披露したりはしていたのですが、遊び感覚で入った大学のサークルでのこの体験を機に「もっとやりたい」と思うようになって。新しいものを自分たちの手で作っている感じがしたんです。そうしてだんだんと授業に出なくなり、最終的には中退するに至ったのですが……(笑)。

 

 

ーー中退された際のお話をお聞かせください

 

 サークルの仲間と「SKA SKA CLUB」というバンドを結成して、ライブをしたりCDを出したり、ラジオに出演したりできるようになっていきました。そのような生活を送っているうちに、この活動にしか興味がなくなってしまったんです。最初の頃はキャンパスに行って授業に出ず部室で音楽をしていたのが、時間がたつにつれてそもそもキャンパスに行かないようになりました。すると当時お世話になっていた佐藤康宏先生(当時・東大大学院人文社会系研究科)が気に掛けてくださり、僕の親に「このままだと単位が取れず除籍になってしまうので、授業に来るよう息子さんに言ってください」と連絡してくださいました。

 

 当然、親から「ちゃんと大学は卒業しなさい」と言われたのですが、僕は聞く耳を持たず「音楽をやるって決めたから」と中退する意志は曲げませんでした。結局、母親と佐藤先生が連絡を取り合って僕が中退するための手続きを済ませてくれて、先生は「勉学の意欲が戻ってきたら大学に来なさい」と言って送り出してくれたんです。それが、駒場に3年間在学してから本郷に来た4年目の出来事です。

 

ーーその後、復学して東大をご卒業されています

 

 はい、その後年月がたって30代になり、結婚をするタイミングで復学を決意しました。結婚前のごあいさつで妻の家を訪れた際に、妻のお母さんから「大学はちゃんと出たら?」と言われたりして(笑)。僕の音楽活動のことは理解して応援してくれていましたが、素朴な疑問として聞かれたんです。僕の母親も、もう直接は言ってきませんでしたが、大学は卒業してほしいと思っていることは僕も分かっていました。僕自身も心のどこかではずっと思っていたことなので、もう一度考えるきっかけになりました。

 

 極め付きは、結婚式の準備をしていた時のことでした。式では、自分の幼少期からの成長の過程を映像として流す時間がありました。それを作るための写真を集める際に実家でアルバムをめくっていたんです。そこに、僕が半ば家出のような形で東大を中退した頃の、誰も履かなくなった僕の靴が玄関に置いてあるのを写した写真や、誰も帰って来なくなった僕の部屋の写真があって。「親不孝をしたなあ」という気持ちになりました。それで後日、大学に「卒業したい」という意志を伝えて相談させていただきました。

 

 東大にもう一度来てみると、中退する前と比べて大学がきれいになったな、と感じましたね。中退する前はまだ駒場寮もあった時代で、ノイズがあったというか「きちんとしていない」ところがあるように感じていました。僕の性格的にはそのような場所の方が居心地が良い感じもしていましたが(笑)。僕が在籍していた文学部の美術史学研究室も、弥生門からキャンパスを抜けてしばらく歩いていくとプレハブのような建物があって、以前はそこを研究室として使っていたんです。でも復学すると、キャンパス内のとてもきれいな建物に研究室があって驚きました。「ちゃんと勉強しなきゃいけないな」という気持ちになりましたね。

 

大学1年生の頃のバンドサークルでの活動(写真はグローバーさん提供)

 

ニューギニア島で出会った「ビスポール」

 

ーー学生時代に影響を受けた芸術作品はありますか

 

 高校を卒業して東大に入学した頃は音楽ばかりやっていましたが、美術にも興味がありました。その後美術史学を専攻する中で、佐藤先生が研究していた伊藤若冲の絵に感銘を受けました。そうして芸術や文化が好きになっていきました。

 

 卒論では「ビスポール」という、アスマット族(ニューギニア島に住む少数民族)の人々が作るとても大きな木彫りの彫刻の柱をテーマにして書きました。日本ではトーテムポール(北米大陸の先住民族が動物や自然現象などを刻んだ彫刻の柱)が有名かと思いますが、そのようなポール界の取締役のような、とても高く大きいポール(高いものでは10メートルほどになるものもある)がビスポールです。

 

 このテーマで卒論を書こうと思ったのは「世界ふしぎ発見!」というテレビ番組にミステリーハンターとして出演した時の経験がきっかけです。当時東大で美術史学を専攻している状態だったこともあり、実際にニューギニア島に行ってビスポールを目にする機会を頂けました。ニューヨークのメトロポリタン美術館に行けば、展示されているビスポールを見ることはできます。しかしやはり実際に現地を訪れて、ビスポールを生活の一部として暮らしている人々の話を聞いたり、一緒に儀式に参加したりする中で見るビスポールにはまた一味違った迫力があり、貴重な体験でした。

 

 「せっかく体験できたこの感動を、論文という形で書き上げたい」という熱い思いで取り組んだ卒論ですが、勉学の意欲はあるのに年を重ねた分脳みそが付いてこなくて大変でした。まだまだ学生時代と同じ気持ちで、現役のつもりで東大に戻ってきたのですが、全力で走ろうとしたら第1コーナーで足が絡まって転ぶし立てない、みたいな状態で(笑)。僕より一回り年齢が下の同級生にサポートしてもらいながら頑張りましたが、僕の何倍も素早く作業をこなす他の学生たちにはいつも驚かされていました。

 

卒業式当日(写真はグローバーさん提供)

 

ーー最後に、学生に向けて何かメッセージはありますか

 

 とにかく好きなことを目いっぱいやってほしいです。人生はどうとでもなると思うので。僕ももう42歳ですが、君たちのような若い世代の人が表現・発信しているものを見ると、僕では思いつかないようなフレッシュなことをたくさんしていて感動するんです。これからも若い人たちから新たなものが生み出されていくのを楽しみにしています。

 

グローバーさん
 14年東大文学部卒。97年に「SKA SKA SLUB」、03年に「Jackson vibe」を結成しボーカルを担当。18年には「SKA SKA CLUB」の新体制として「skaskaskaclub」を結成。テレビやラジオなどでタレントとしても活動する。

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