インタビュー

2016年4月17日

若者は社会の壁に閉じ込められている 映画『オマールの壁』主演俳優に聞く

 パレスチナに生きる若者を描いた映画『オマールの壁』が、16日に日本でも公開され注目を浴びている。私たちが、パレスチナと聞いて思い浮かべるのは、イスラエル軍による侵攻や、武装勢力による報復テロといった暴力の連鎖のイメージだが、その地で実際に生きているのは、私たちと同じように、友人と笑い合い、恋人と見つめ合う人々だ。

 

 『オマールの壁』は、イスラエルが建造した分離壁に抗いながら生きるヨルダン川西岸地区の若者たちを描いているが、この物語から浮かび上がってくるのは、私たち日本に住む学生が、知らず知らずのうちに囲まれてしまっている見えない壁についてだ。

 

 パレスチナ人としてイスラエルに生まれ、俳優として世界的に活躍しているアダム・バクリさんに、主演した『オマールの壁』を通して見えてくる、私たち若者を取り囲む見えない「壁」について話を聞いた。

 

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 映画『オマールの壁』に登場するのは、バクリさん演じるオマールを始め、パレスチナに生きるごく普通の若者たちだ。イスラエルとパレスチナ西岸地区の境界には高さ8mの分離壁があり、境界を超えてパレスチナ内部にも広がっている。全長700kmに及ぶこの分離壁は、パレスチナ人のコミュニティーを分断して続いており、そこでは若者たちが、仕事のため、友人や恋人に会うために、日常的に壁を超えて生活している。

 

 壁に囲まれながら暮らすオマールとその友人たちは、日々、不当な暴力にさらされることに耐えかね、イスラエル軍への襲撃作戦を決行する。その後、秘密警察に追われ、仲間のうちに裏切り者が出るなかで、長年育んできた彼らの友情や愛は大きく歪められていく。

 

 青年期に多くの人が経験するであろう友情や恋愛関係の危機を、この映画は「壁」に囲まれたパレスチナの現実の中で描いている。そこに生きているのは「テロリスト」や「武装勢力」という言葉で一口に表現することのできない、友人や恋人を愛し、不正義に憤る若者たちだ。

 

 イスラエルに生まれ、イスラエルの大学に通ったパレスチナ人であるバクリさんは、このようなパレスチナの問題についてどのような気持ちを抱いているのだろうか。

 

――バクリさんはイスラエルのテルアビブ大学のご出身ですが、大学でのユダヤ人とパレスチナ人との関係はどのようなものだったのですか?バクリさんの大学時代について教えてください。

 

 私は、英文学と演劇の2つのコースを専攻していました。英文学のコースはアメリカ人の教員が英語で教えるためパレスチナ人の学生も多かったのですが、演劇のコースはヘブライ語で行われるため、パレスチナ人は私を含めて2人しかいませんでした。

 

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 大学に入るまでは、戦争のことを意識することはそれほど多くなかったです。でも私が大学2年生だった2008年、ガザ紛争(※)が起きて、多くの民間人が犠牲になりました。

(※)ガザ紛争:22日間におよぶイスラエルの軍事攻撃によって、約1400名のパレスチナ人(大半が非武装の民間人)が死亡。またパレスチナ側からのロケット弾による報復で、3名の民間人を含む13名のイスラエル人が死亡している。 (アムネスティ・インターナショナル「ガザ紛争の犠牲者のため、国際的な司法解決を求める」

 

 そのとき、南部のガザで毎日人が死んでいたのに、私のいたキャンパスはいつもと変わらず、キャンパスの芝生で皆がのんびりピクニックを楽しんでいた。イスラエル人の友人たちは、ガザの悲惨な現状を見たくないから、それを無視していつも通り笑って過ごしていたんです。僕にとって、それはすごく辛いことでした。そういう人たちと信頼し合って、正直な関係を結ぶのはとても難しかったです。

 

***

 

 『オマールの壁』では、友人や恋人との信頼関係が大きなテーマとなっている。作中でのリアルな演技にはバクリさん自身が、大学で友人に対して抱いていた不満や葛藤が投影されているのかもしれない。

 

 壁に囲まれたパレスチナの人々の生活は、私たち日本に住む大学生にとっても他人事ではない。物理的な壁はなくとも、言語の壁や、経済的な事情、育った環境など、私たちは様々な壁に取り囲まれている。ピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー』という映画では、テレビ番組のために作成された広大なドーム型のスタジオの中で、外の世界を知らずに生まれ育った男性が描かれるが、私たちも自分に課された制約の中で、制約を超えた外の世界を知らずに生きている。自分が壁に囲まれていることに気づかず、壁の中で満足しているだけではないと、私たちにどうして言い切れるだろうか。大海を知らない井の中の蛙は、自分の世界が小さな井戸であることに気づくことはできないのだ。

 

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(『オマールの壁』より)

 

 ニューヨークで演劇を学び、映画業界で世界的に活躍するバクリさんは、自分を取り囲む壁を意識することはあるのだろうか。井の中の蛙にならず、壁を乗り越えるために、どのような努力をしているのだろう。そう疑問に思って投げかけた質問に、彼は思いもよらぬ視点から応えてくれた。

 

――アダムさんは、自分人身が壁に取り囲まれていると感じたことはありますか?『オマールの壁』のような物理的な壁ではなく、メタファーとしての壁ということですが。

 

 そうですね。最近、映画を観たり本を呼んだりして考えるのですが、人々は腐敗したシステムによって壁の中に閉じ込められているのではないかと思うことがあります。世界をコントロールしているのは、腐敗したシステムで、そのシステムが牢獄のように人々を閉じ込めて、皆からお金を吸い上げているのではないかと。

 

 人々は、その壁の外を知ることができないために、羊の群れみたいに、何も知らずにシステムに追従している。私たちが生きているのは、そういう閉鎖的な社会なのではないかと思うんです。

 

 そういう意味では、この映画はとても象徴的です。この映画の原題は“OMAR”で、「壁」という言葉は日本語のタイトルにしかないんです。『オマールの壁』というタイトルを付けた日本の人たちは、この映画をとても良く理解しているし、現実に対する洞察力もすごいと思います。

 

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(『オマールの壁』より)

 

***

 

 私たちは知らず知らずのうちに「壁」に閉じ込められ、システムに搾取されているのかもしれない。アダムさんはそのシステムが具体的にどういうものかを語ることはなかったが、その指摘は私たちがどう生きるべきかを考えるときに、とても示唆に富んでいた。私たちが、オマールのように支配と戦い、壁を乗り越えようとするわけでもなく、自分を取り囲む壁にすら気づいていなのだとしたら……

 

 パレスチナで何人の人が死んだというニュースを見て、自分の友人が犠牲になったかのように悲しむのは難しい。しかし、そこで何もなかったかのように振る舞い、ガザ紛争を見て見ぬふりしたアダムさんの友人のように過ごすのは、自ら壁を作り、外の世界を見ないようにしているということではないだろうか。それは、自分から進んで、見えない壁に閉じこもっているということだ。

 

 私たちは、自分の壁の中でピクニックをするのでも、羊の群れのように無批判に誰かを追従するのでもなく、自分がどんな壁に取り囲まれているのかを考え、その外で何が起きているのかを知ろうとしなくてはならない。『オマールの壁』を通してパレスチナの問題に触れることは、自分の壁の外を覗くための一歩となるかもしれない。

(取材・文 須田英太郎)

 

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パレスチナについてより詳しく知りたい方はこちら。

<連載:東大生のパレスチナ留学記>

「イスラーム世界」との邂逅【連載パレスチナ留学記1】

そしてパレスチナへ【パレスチナ留学記2】

パレスチナ西岸自治区の治安【パレスチナ留学記3】

聖夜の空に揺れるパレスチナ国旗(前編)【パレスチナ留学記4】

聖夜の空に揺れるパレスチナ国旗(後編)【パレスチナ留学記5】

 


 

◆作品情報

映画『オマールの壁』 ※『オマール、最後の選択』より改題

(2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー/原題:OMAR)

監督・脚本・製作:ハニ・アブ・アサド(『パラダイス・ナウ』)

出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか

配給・宣伝:アップリンク

 

2016年4月16日(土)より、角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開

 

★【公式サイト】http://www.uplink.co.jp/omar/

★【公式Twitter】https://twitter.com/OmarMovieJP

★【公式Facebook】https://www.facebook.com/omarmovie.jp

 

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