今回は、1945年7月21日発行の「大學新聞」より、3人の学徒兵が陣中から寄せた歌を転載する。戦局の悪化し本土決戦が叫ばれるこの時期の歌である。当局による検閲下の記事ではあるが、「当時」について考えるきっかけにしてほしい。(改行など一部を改変)
述懐
〇〇警備隊にあっての感懐を恩師久松潜一教授に送って来たもの── 東大文卒 秋本吉郎
この戦局を警備り徹りて大八州神祖国に敵踏ましすな
脚涹えのわれなりながら兵とありてこのひとときをまもり徹らな
慶州の石仏悟る助役ありて夜巡察の列車待ちをり
ビルマ戦線 東大法卒 菊池憲太郎
戦友の背の蛍を頼みとし闇のヂャングルわが進み征く
わけ合ひし煙草もつきぬ草の葉を巻きて煙吐く我はつはもの
糧つきて三日になりぬ弾丸の中萱の根ほりて兵とむさぼる
ビルマに想ふ 東大文卒 唐木邦雄
何気なく叩きおとせる蛍なれ喘ぐが如き光かなしも
きらめける白き甍のたたなはる円き小山は眠れるごとし
荒廃の巷に靄のたち罩めて馬車は軽げに朝風きれり
※1944年7月から1946年4月の間、全国の学生新聞は『大學新聞』に一本化され、本紙の前身『帝國大學新聞』の編集部が編集を主に担っていました。終戦から80年の節目を迎え、戦争の当時を語る人々は減る今、遠い存在となりつつある「当時」を考える一助になれば幸いです。