インタビュー

2021年4月3日

「古典に参加せよ」 渡部泰明教授退職記念インタビュー

 東大での教員生活を終える今、自身の研究生活や多彩な活動を振り返りつつ、思いの丈を語ってもらう退職教員インタビュー。今回は、和歌がなぜ時代を超えて持続したのかという問題意識を核としてさまざまな研究成果を残すとともに、古典教育にも精力的に取り組んできた渡部泰明教授(東大大学院人文社会系研究科)に、和歌の本質や古典教育の意義などについて幅広く話を聞いた。

(取材・山﨑聖乃)

 

渡部泰明(わたなべ・やすあき)教授(東京大学大学院人文社会系研究科)84年東大大学院人文科学研究科(当時)博士課程退学。博士(文学)。上智大学助教授、東大大学院人文社会系研究科助教授などを経て、06年より現職。

 

中世和歌史の動態を解明

 

――最大の研究成果は

 

 2017年に『中世和歌史論――様式と方法』で、念願であった中世和歌の歴史を自分なりの観点からまとめることができました。角川源義賞をいただいたこともあり自身の最大の研究における成果と言えます。この成果を一般向けに解きほぐしたうえで、さらに視野を拡大し、方法的にも深化させたのが、去年出した『和歌史 なぜ千年を越えて続いたのか』で、自分の総決算のつもりでした。

 

 和歌とはどういうものか、なぜ続いたのか。本書では「祈り」、「境界」、「演技」、「連動」という四つの観点によりその答えに近づけたのではないかと思います。

 

 和歌は作者の想的な事柄への思いを表現する「祈り」と言えます。寂しさや悲しさなどの表現も、奪われてしまった理想の状況の切望と捉えることができます。すると「祈って」いる作者は、現実でも理想でもない中途半端な状況に立っていることになりますね。そこで和歌の作者の立ち位置を「境界」的な時空と定めました。 

 

「境界」的な時空でどのように「祈り」を表すのかに関わるのが「演技」です。桜が散るのが悲しいという内容の和歌は何百万首とありますが、それぞれその表現の仕方、「演技」の仕方が異なります。「演技」とは、虚構とは区別され、本当の気持ちを探し求め、自分のものだと引き受ける力のことを指します。「演技」という観点により、現代人に馴染みのない枕詞などの和歌的レトリックや大袈裟とも思える心情表現も、真摯に「演技」しているのだ、とリアリティーを持ち納得のいくものになります。

 

 和歌的レトリックに代表されるような、和歌の言葉の網の目のような言葉のつながりが「連動」です。人間の意図が届かないところで、言葉が言葉を生み出していくような気勢であり、秩序立った世界を浮かび上がらせるのです。

 

中世和歌史を独自に集成し、和歌がなぜ続いたのかという問いに迫る『中世和歌史論 様式と方法』。渡部泰明・著。岩波書店、税込み10560円

和歌と教育の密接な関係

 

――研究成果をどのように社会に還元してきましたか

 

 これまで大学生のみならず中・高校生や社会人をも対象に、テキストを書いたり講演をしたりと教育に精力的に取り組んできました。教えるのが好きという元来の自分の性質に加え、和歌と教育の密接な関係が原動力だったと思います。

 

 和歌には教育と結びついたことで長続きしてきた側面があります。貴族社会が崩壊した後も文学作品、演劇、美術などさまざまな文化領域と関係の深い和歌は基礎的教育科目として理想的だとみなされ、精神修養の役割も担いました。和歌を詠むために歌学が発達し、詠んだ歌を添削してもらうシステムの確立など教育課程とも呼べるものも発達しました。和歌自体が学ばれるだけでなく、さまざまな分野の教育に和歌が利用されることもありました。

 

――教育についてどのような方針を持って取り組んでいましたか

 

 自分の研究を反映するだけにならないようにと心掛けてきました。私は日本の古典は本来参加型だと考えています。作者は言葉を堅牢(けんろう)に組み立てて一つの完璧な世界観を作るというより、あえて曖昧さや余白を残して読者が参加していくことを可能にしています。『源氏物語』は優れた作品ですが、物語単体で完結しているのではありません。『源氏物語』を踏まえた和歌、連歌、俳諧、絵画、音楽などがたくさん作られる中で、作品自体もより生き生きと受け止められてきました。

 

 古典の授業がつまらないという高校生が多いのは、古典の授業は訳や内容説明が中心となりがちだからだと思います。小学生には古典が大好きという子がたくさんいるのです。内容にこだわらず音として聞いているからでしょう。もっと古典に参加できる、古典で遊べる機会が増えるべきです。

 

――近年、古典教育の必要性が問われていますが、古典を学ぶ意義とはどのようなものでしょうか

 

 言葉は単語一つで成立しているのではなく、反対の言葉、似た言葉、前提となっている言葉などと網の目を形成しています。古典を通じて言葉の歴史的な流れを知ることは、言葉の網の目を知ることになり、日本語が何を表しているのか、どういう世界を持っているのかを知ることにつながります。古典を学ぶことは日本語を知り、豊かに日本語を使う一助となるのです。

 

 また、古典を学ぶことは異文化を学ぶことでもあります。古典の文化には現代の日本文化と共通する点も多いので、一から異文化を学ぶよりも学びやすいです。古典教育には異文化を理解する、受け入れる訓練となる側面もあるのです。

 

――学生へのメッセージを

 

 自分の学生時代は本当に自由にやらせてもらいましたが、年々学生の自由さはなくなり学生自身も管理を求めているように感じます。自分で切り開いていく事が何より大切です。学生時代には勉強以外に今しかできない何かに挑戦してください。東大にはそのチャンスがたくさんあるはずです。

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