COLUMN 2019年10月26日

【100行で名著】 『もの食う人びと』辺見庸著

角川文庫 税込み792円

 

 読書の秋、そして食欲の秋がやって来た。食に関する本は数多いが、今回は世界各地を巡り、その地ごとの食という営みを描いたルポルタージュを取り上げたい。

 

 「噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲む」。1年超えの長旅を始めるに当たり、著者・辺見庸は自らに課した。長年の飽食に慣れた舌と胃袋を異境の地に運び、いじめたくなったのが旅の動機だったという。振り出しは1992年末、南アジアのバングラデシュだ。

 

 まだ送別会の「特上寿司やしゃぶしゃぶの味をしつこく覚えていた」著者は、ダッカ駅周辺で「獣のにおい、カレーの香り、ドブ川の悪臭」に襲われる。線香が炊かれた屋台に、鶏肉などを添えた焼き飯・白飯が売られている。十数円で購入し食べてみると、米はコシがなく、酸っぱく、水っぽい。すると、どこからか「売られているのは残飯だ」と忠告が聞こえた。思わず皿を放り出した途端、痩せた少年が手を伸ばして奪い取り、脇目も振らずに誰かの歯型が残る肉にかぶり付く。著者がいたのは、結婚式などから残飯を集めた「残飯市場」。線香は腐敗臭を消す役割を果たしていたのだ。

 

 残飯に始まり、著者は世界各地で食と出会い、それを次々と口にしていく。タイでは「世界一大きいレストラン」のスズメ料理、ドイツでは囚人食、コソボでは修道院の精進料理、クロアチアではアドリア海のイワシ、エチオピアでは塩やバターを入れたコーヒー、ロシアでは海軍給食、ウクライナではチェルノブイリの放射線汚染食品……。食に着目することで、その土地での生活が面白いほど鮮明に浮かび上がってくる。

 

 著者は「記憶」という「見えざる食いものも食った」と振り返る。フィリピン・ミンダナオ島では残留日本兵士の「組織的食人行為」について現地住民から話を聴き、韓国では元従軍慰安婦の過酷な生活を取材。さらに「食べられない」場面にも出くわす。国連PKO部隊が内戦沈静化に努めていたソマリアでは、飢えて死を待つ「枯れ枝少女」を前に何もできず、ただただ悲しみをこらえた。

 

 本書は、外信部の記者として活躍していた著者の連載記事をまとめたもの。各国の状況は、四半世紀を経て大きく変わっている部分もあるだろう。しかし、食というテーマの普遍性からだろうか、どれも色あせていない。

 

 「世界にはいくつかの中心的場所があり、それらにともなう周縁があるという」という著者の認識は、旅の中で「どこかに吹き飛んでしまった」。こう考えるのは、行く先々に「世界の中心」を見たから。飽食の人も飢えている人も含め、全人類は食を軸に生きている。彼らのミクロな喜怒哀楽の積み重ねこそが、世界を作り上げているのだ。本書は、食を通じて「世界の中心」とは何かを考えさせてくれる一冊だ。

辺見庸(1944~)
 宮城県生まれ。早稲田大学卒。70年に共同通信社入社。78年に中国報道で日本新聞協会賞、91年に『自動起床装置』で芥川賞、94年に『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞。96年に退社し、作家として活躍している。


この記事は2019年10月15日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。

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