COLUMN 2017年1月16日

【KomabaTimes⑤】「意識高い」から何が見える?

 本シリーズは、東大の「PEAK(教養学部英語コース)」の学生有志らで運営されている「Komaba Times」との連携企画です。

 以下は、Komaba Timesに掲載された記事”How do you know if you’re an “ishiki-takai” person?“の和訳です。

 


 馴染み深いスラングの中にも、その含むところについてよく考えてみると、スラングを使っている社会や文化について色々なことを教えてくれるものがある。例えば、日本の若者の間で人口に膾炙(かいしゃ)している「意識高い」というスラングを例に取ってみると、状況によって様々な意味で用いられていることがわかる。

 

 「意識高い」のそもそもの意味は、文字通り「意識が高い」つまり「熱心であり、低い次元で満足しない」ことであり、実際に、一義的にはそのような人々を指すために「意識高い」という語は用いられる。また、ある東大修士課程の学生によれば「私は「意識高い」という表現を、脇目も振らずに就活に打ち込む人や、平均的なレベルをはるかに超えて熱心に研究に打ち込む修士課程の生徒に対して使う」。ここでは、「意識高い」の第二の用法、すなわち、何か真面目な事柄に対して打ち込む熱心さが普通を超えていることを指す用法が見て取れる。

 

 「意識高い」はまた、熱心さを見せびらかすためだけに大変だと思われていることに取り組む自慢屋のことを指しているときもある。ある東大の学生は、飲み会で真面目な話題、例えば将来のことや社会問題について熱く語る人は意識が高いと考えているようだ。ここで言う「意識高い」は、いわゆる「意識高い系」と言い換えられるかもしれない。その場合はより否定的な意味を含むことになる。

 

 結局、「意識高い」は、実際に勤勉でその成果が優れている人のことを指す場合もあれば、熱心さを見せびらかすことで有能なように、或いは成功しているように見られようとする人を(時に本当は有能でもなければ成功してもいないという含意を伴って)皮肉っている場合もある。

 

 ところで、私たちはこの表現の濫用については注意するべきかもしれない。というのは、誰かの熱意や目標を理解できないからと言って、その人の真剣さについて思いを馳せることなく、ただちにその人を「意識高い」人であると片付けてしまうとしたら、それはレッテル貼りであり或いは中傷にさえなりかねないからだ。

 

 「意識高い」の問題の複雑さはここにある。熱心に何かに取り組むことそれ自体は、決して悪いことではない。このことは文字通りの意味が否定的なニュアンスを含まないことからも明白である。そのような表現が、否定的な意味でも使われる理由というのはもしかしたら、自らの働きぶりや能力を見せびらかすことを良しとしない、日本の文化、あるいはむしろ人間の一般的な感情にあるのかもしれない。しかし、もしこの感情に任せて、熱心に何かに取り組む人が見せびらかしているのだと常に考えるとすれば、それは勤勉や情熱に対する不寛容でしかない。

 

 かくして、「意識高い」という一つの言葉の含蓄は、否定的なものから肯定的なものまで幅広く変化するのであり、それゆえこのスラングを適切に使うのはやや難しいかもしれない。しかしこのような複雑さこそが、こうした言語表現の面白さでもあり、そこにはその表現を発する者の感情の機微だけでなく、表現の用いられる社会的文脈への興味深い示唆が現れているのだ。

 

By Kai Ohata

 

【KomabaTimes】

日本におけるジェンダー論

Class of 2019: Lost in transition

駒場のちびっこたち―保育所より―

④駒場寮の記憶

⑤「意識高い」から何が見える?

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