学術

2020年4月9日

建築家の卵による自由な表現 約150年続く建築学科の「卒制」② 卒制の歴史と名建築家たち

 東大では、法学部など一部の学部や学科を除いて、卒業論文(卒論)の執筆が卒業の必須要件として課せられている。一方、工学部建築学科では、卒論に加えて卒業制作(卒制)と呼ばれる、最終制作課題も必修課目となっている。建築学科における卒制の制度的な概要や歴史について有識者に聞くとともに、卒制を終えた学生へのインタビューを行い、その実態に迫った。

(取材・大西健太郎)

 

【関連記事】

・建築家の卵による自由な表現 約150年続く建築学科の「卒制」①

・建築家の卵による自由な表現 約150年続く建築学科の「卒制」③

 

名だたる建築家の登竜門

 

 東大建築学科は1873(明治6)年に開校した工学寮工学校の専門科の一つとしてスタートした日本で初めての建築学科だ。日本銀行や東京駅の設計で知られ、辰野賞の由来ともなっている辰野金吾はその第1期生で、辰野も卒制を経験している。これは辰野らを教えた英国人建築家、ジョサイア・コンドルの発案によるものである。「当時の卒制は現在と異なり、好きな建物を自由に設計できるわけではありませんでした」と話すのは、当時の東大建築学科の様子に詳しい歴史系技術職員の角田真弓さん。建築学科図書室では辰野金吾以来の建築学科卒業生の卒制の図面を閲覧できる。当時の図面を見ると、博物館や病院、銀行など、日本の近代化を進める上で必要となる建物を設計したものが多い。デザインも西洋の様式建築を踏襲したものが多く、時代性を強く感じさせる。

 

 それ以降も、時代の影響を色濃く受けたものが多い。関東大震災の2年後にあたる1925(大正14)年の震災記念館と称した作品や、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年の傷痍軍人の療養施設、軍の技術研究所といった軍事色を帯びた作品など、世相を反映したテーマの作品が多く見受けられる。

 

 辰野賞の歴史も古く、その起源は1934(昭和9)年にまでさかのぼる。歴代の受賞者には広島平和記念資料館や東京都庁舎などの設計で知られる丹下健三や、代官山ヒルサイドテラスや幕張メッセなどの設計で知られる槇文彦、近年では青森県立美術館を手がけた青木淳や武蔵野美術大学図書館を設計した藤本壮介など、名だたる建築家らが受賞している。

 

角田 真弓(つのだ まゆみ)さん(工学系研究科技術専門職員) 95年筑波大学卒。博士(工学)。05年より現職。 著書に『明治期建築学史』(中央公論美術出版)、編著に『東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる』(東京大学出版会)など。

←前の記事

次の記事→


この記事は2020年3月31日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を掲載しています。

ニュース:新型コロナ 前期教養課程など1、2週目休講 影響広がり先行き不透明
ニュース:大学債発行要件緩和へ より戦略的な資金運用が可能に
ニュース:高血圧・肥満が寿命を縮めると証明
ニュース:准教授2人に懲戒処分 学生へのハラスメントで
ニュース:19年度学位記授与式・卒業式 規模縮小、異例のライブ配信
ニュース:医学部付属病院 セカンドオピニオン外来をオンラインで
ニュース:総図本館が夏に臨時閉館
ニュース:サケはどこへ向かうのか 窒素同位体比から解析
企画:退職教員が語る学びの極意(後編) 石井直方教授(総合文化研究科)、合原一幸教授(生産技術研究所)、井上達夫教授(法学政治学研究科)
企画:建築家の卵による自由な表現 約150年続く建築学科の「卒制」
東大新聞オンラインPICK UP:健康・医療編
キャンパスのひと:渡部元さん(文・4年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る