学術

2024年3月12日

【New Generation】森川勝太助教 神経を見て マウスを見て【前編】

morikawa_newgeneration1

 

 バンザイをする、やる気に満ちて勉強をする、怖くてうずくまる。人間は気持ちや記憶によって特定の行動をしているが、その行動への記憶の関与や、行動が生まれるメカニズムは未知であふれている。脳がどのように記憶や行動をコントロールしているのか、森川勝太助教(東大大学院理学系研究科)はマウスを使い、大脳にある扁桃体や海馬に注目した研究を行っている。23年度は助教に着任して理学系研究科分子神経生理学研究室(竹内研)の立ち上げに関わり、新世代の研究室の誕生を支えた。脳神経科学との出会いから竹内研での活動に至るまで、リアルな研究生活の流れを聞いてみよう。前半では博士論文の執筆に至るまでの研究生活を取り扱う。(取材・清水琉生)

 

「見る」から始まる脳研究

 

 大学院進学までは大阪で過ごした森川助教は、脳科学の研究をしたいという漠然とした気持ちがありつつ、不安やストレスなど身近な現象を研究対象とできたら良いと考えていた。修士課程は奈良県の奈良先端科学技術大学院大学へ進学し、情動を司る扁桃体(へんとうたい)や短期記憶を担う海馬を専門としている研究室に入った。「入って最初にボスから、それだけで論文になるからと脳組織染色標本をスケッチする課題を与えられました。免疫染色などの神経細胞の代表的な染色法などを学びながら、顕微鏡での観察像をひたすら鉛筆で描いていました」。結局は論文にはならなかったというが、脳神経分野では、実際にスケッチをしていた神経細胞集団の形態について発見がなされ、英科学誌『Nature』に掲載される成果が生まれた例があった(Donato, et al., 2013)。そのほか、マウスから脳を取り出す際に組織固定をするために行う灌流(かんりゅう)固定の技術も身につけ、脳神経科学研究の基礎を知る機会になった。

 

修士課程で研究室に所属して最初に描いた脳組織のスケッチ
修士課程で研究室に所属して最初に描いた脳組織のスケッチ

 

 高校で生物を勉強した当時は脳が好きではなかったという。「よく分からないものという印象が強かったです。ただ、分からないからこそ面白いと感じていた部分もあったのだと思います」。院生になってから本物の脳を見て感動した。「脳の塊に図表で見るような脳機能部位を隔てる境界線が引かれてはおらず、ツルツルしたところに神経細胞が詰まっていたんです」。国境線が引かれた世界地図ではどこにどの国があるのか見ることはできても、その国の中にいろいろな人が住んでいることは分からない。同様に、脳に触れて初めて、脳の中の神経細胞にも個性があり、例えば視覚に関わる領域の神経細胞にも、それぞれ異なる特徴があることを知った。

 

 修士2年になると、配属していた研究室のボスが定年退職。当時助教で指導を受けていた田村英紀准教授(星薬科大学准教授)が星薬科大学へ異動することに合わせて研究現場を移した。完全に上京したものの、奈良先端科学技術大学院大学に在籍したままでいられるように教員が協力をしてくれた。

 

 神経科学の研究で良い論文を書きたいと思うと、動物の飼育の関係もあり5年程度かかる。そのため、研究のスパンは5の倍数で考えるという。修士課程では時間が足りず不完全燃焼だったことが博士課程進学の決め手にもなった。

 

想定外を想定 生まれる最前線

 

 博士論文研究では、世界で初めて扁桃体で神経周囲ネット(PNNs)を持つ興奮性神経細胞を発見。連合学習に関与する記憶の定着や想起における重要性を示唆するものだった。神経周囲ネットは名前の通り神経細胞の周囲にできる物理的な障壁となる構造。神経細胞にはシナプスを介してつながった神経細胞の活性を上げる興奮性神経細胞と、抑制する抑制性神経細胞がある。研究当時、PNNsはカルシウムに結合するパルブアルブミン(PV)を発現する抑制性神経細胞でしか主には見られない構造だとされており、PNNsを染めればどこに抑制性神経細胞があるか分かるとされていたくらいだったという。森川助教は蛍光でPNNsとPVを持つ神経細胞をマークして観察できるようにして見ることで気づきを得た。「必ずしもPVがある細胞でPNNsがあるわけでは無かったんです。最初先生に聞いても、実験上のノイズだという反応でしたが、興奮性神経細胞をマークしてみるとPNNsの位置と重なりました」。扁桃体では世界で初めて興奮性神経細胞にPNNsが作られていることを示した。「教科書にはないことを見いだすのが研究です。もしPNNs はPVのあるところにしかないと完全に決めつけていたら考えもしなかったです。見たままの像と向き合い、未知の可能性の存在に備えることが大切だったなと思います」

 

 PNNsの構造はシナプスが解消されないように固定する効果を生む。連想においてPNNsの存在がより確かな記憶や想起につながることも研究した。PVを発現する抑制性神経細胞にのみPNNsができるという前提では「PNNsによって抑制性の神経伝達が阻害されることでより想起されやすくなる」という仮説を考えていたが、PNNsを持つ興奮性神経細胞が見られたことで「記憶や想起のハブとなる興奮性神経細胞が、PNNsの働きにより他の神経細胞との結び付きが強くなることでより確かなアウトプットを生む」ことも考えられるようになった。また、子どもの頃はPNNs形成がされづらく幼若性健忘などが見られ、大人になると形成が進み、神経回路が固定される一方で、神経回路の可塑性(神経回路を作り変えることができる性質)が失われることが観察された。これらを受けて、実際にPNNsを持つ興奮性神経細胞が記憶や想起でどのように活動しているのかを観察するために池谷(いけがや)裕二教授(東大大学院薬学系研究科)へ協力を依頼した。

 

 ただ、当時、脳神経科学分野は「光遺伝学」と呼ばれる手法が生まれ、特定の神経細胞の活動を光で操作することができるようになった技術革新の時代。論文投稿にあたってはハブとなっている興奮性神経細胞の活動を光で操作して検証することが要求された。そのためには新たに遺伝子改変マウスを作成することも必要だったが、莫大な費用と時間がかかるため頓挫。ただ、この時の不完全燃焼さがポスドクとしての研究のモチベーションにもなった。現在、さらなる研究が進み、博士論文の続きとも言える論文の投稿手続きを進めているという。後編に続く)

 

森川勝太(もりかわ・しょうた)助教(東京大学大学院理学系研究科)  18年奈良先端科学技術大学院大学博士課程修了。博士(バイオサイエンス)。東大大学院薬学系研究科特任研究員などを経て23年より現職。
森川勝太(もりかわ・しょうた)助教(東京大学大学院理学系研究科) 18年奈良先端科学技術大学院大学博士課程修了。博士(バイオサイエンス)。東大大学院薬学系研究科特任研究員などを経て23年より現職。

 

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る