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2023年1月7日

なぜ増えない? 社会人の学び直しの現状と課題

 

 デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展や「人生100年時代」の到来で、労働者を取り巻く環境は急速に変化している。労働者が働きながら学び直すリカレント教育の必要が高まっている。東大でも、今年10月、社会人向けの人材育成プログラムの提供などを行う東京大学八重洲アカデミックコモンズを開設するなどの取り組みを行っている。しかし、日本では社会人の学び直しは少ない。日本でリカレント教育が普及しない理由は、そして今後の課題は。社会人教育や生涯学習などを研究する牧野篤教授(東大大学院教育学研究科)と、スマートシティスクールに通う社会人の徳光勇人さんに話を聞いた。(取材・石川結衣)

 

雇用制度の変化・労働者不足・年金制度危機の中で

 

 リカレント教育とは、生涯にわたり教育と就労を繰り返す教育システムのこと。平成29年から30年にかけて開かれた政府の「人生100年時代構想会議」などがきっかけに多様な生き方が注目されるようになり、リカレント教育が重要視されるようになった。

 

 しかし、日本では 25歳以上の学士入学、30歳以上の修士・博士課程入学ともに OECD(経済協力開発機構)加盟国の平均を下回っており(図1)、社会人の学び直しが少ない。その理由について、牧野教授は次の二つを指摘する。一つは、経済が停滞している日本では、現状を変えてまで高みを目指す意識が低いことだ。経済成長の進む韓国では、転職することでキャリアアップができるという考えが広まっているが、日本ではそのような考えは広まっていない。そのため、日本では転職のために新たな知識や技術を身に付けようとする人が多くない。

 

 

 二つ目は企業側の要因だ。教育訓練休暇制度や教育訓練短時間勤務制度などの、有給で就学ができる制度を導入している企業はそれぞれ1割に満たない(図2)。さらに本業に支障をきたす、教育内容が実践的ではないなどの理由から従業員の就学を認めていない企業もある。産前産後休業や育児休業と同様、積極的に就学できる環境が整っているとは言い難い。

 

 

 牧野教授は三つの観点からリカレント教育が重要だと指摘する。

 

 一つ目は、近年、終身雇用や年功序列に支えられた従来の雇用制度が崩れつつあり、複数の仕事をするパラレルキャリアが普及し始めていることだ。「若い人の感覚では、キャリアアップとは自分のやりたい仕事や活躍できる仕事を探すことだという認識になっています。そのために必要なスキルと知識を得るため、学び直しが重要です」

 

 二つ目は日本全体の労働者不足だ。生産年齢人口の少ない日本では、人手不足の解決策として、主に介護職や飲食業、農業で外国人を雇用してきた。しかし円安が進む現在、本国へ仕送りする出稼ぎの外国人労働者にとって、日本で働くことはデメリットが大きい。賃金上昇率が低く、他の先進国と比較して平均賃金が低いということもあり、外国人労働者を確保し切れなくなっている。そこで求められるのが、複数のスキルを持った優秀な人材だ。「今までのように、1人が一つの仕事をする形では労働者が足りません。これからは1人で複数の仕事ができる人を増やす必要があります」

 

 三つ目は、将来的に高齢者に年金を払えなくなることだ。日本の年金制度は、主に現役で働く人が支払う保険料で年金を賄う賦課方式を採用している。超高齢社会の日本は、今後数年で生産年齢人口約 1.8人で1人の高齢者を支えなければならず、一人当たりの負担はさらに増えていくと見込まれる。そのため、高齢者にも年金を頼らずに生活してもらう必要が生じてくる。生涯を通して働き続けるために、働きながら学び続けなければならない。

 

多様な変化に対応できる知識と経験を

 

 東大大学院新領域創成科学研究科が今年、社会人向けに開設したスマートシティスクールでは、地域の課題解決や価値創造、都市や地域のDXを担う人材を育成している。

 

 社会人6年目の徳光さんは現在、都内にある建設会社に勤めながらスマートシティスクールに通っている。スマートシティスクールに応募した理由は、第1期のコースに通った先輩の話を聞き、会社で実務を身に付けた上で、東大の教員から学べるのは貴重な機会だと感じたからだという。「一方通行の授業になってしまうウェブ講座や通信教育に比べ、スクールでは他の受講者と対面で議論することで、新たな視点の獲得や理解の深度化ができます」

 

 しかし、社会人が学び直しをするには時間とお金の問題がある。家庭や通常業務との両立が必須な場合、学び直しに費やす時間とお金の確保は難しい。「私の場合、会社の提案を受けて通い始めたので、会社からお金の支援や業務の一環とする時間への配慮はあります」。スクールでは、夜間開講の配慮はあるが、個人参加にはフレックスタイム制等の導入がなければ厳しいという。

 

 リカレント教育の役割は、転職や昇進のためのスキルや知識の習得だけではない。その本質は、将来起こる多様な変化に対処できる、分野を俯瞰した知識や経験を積み、問題解決能力を高めることだと話す。

 

 今後は、スクールで得た視点や知識を会社に持ち帰り共有することで、会社をより良くするきっかけにしていく。「具体的な考えはまだありませんが、学んだことを実際の業務に生かしたいです。若い人にも、学びの機会を持ってほしいですね」。今後も、機会があれば積極的に学び直しを続けたいという。

 

人生を再設計できる場を東大から

 

 今後リカレント教育はどのように発展していくのか。大学、その中でも東大がリカレント教育を行う意義を考えながら見ていく。

 

 リカレント教育の将来として、高齢になるまでに自分の人生を考え直す時間と機会を保障すべきという議論が上がっていると牧野教授は話す。「人生の節目節目で1年間勉強しに行く機会を与え、その後の人生を考えたり、地域のコミュニティーに参加するきっかけをつくり、その後は会社に戻っても、他の仕事に就いても良い、といった自由な選択があって良いと思います」

 

 政府や企業が開講する社会人向けの講座や通信教育がある中で、大学がその受け皿になるメリットは大きい。特定の分野を深く追求した研究・学習が可能であり、最新の専門知識を得ることもできる。

 

 若い学生にとっても、社会人と共に授業を受けることには大きな利点があると語る。「例えば教育学といった学問分野では、若い学生たちは理論を学ぶことはできますが、実感が湧きません。そこで、社会人の方に自分の経験を話してもらうと理解が深まることがあります」。多様性に欠けるという評価のある東大にとっては、キャンパス内の異世代間交流の促進は喫緊の課題だ。

 

 しかし大学が社会人を受け入れる際には入試の問題がある。「社会人を増やすために、社会人だけ積極的に入れようとか、入試全体を改革しようという議論にはなかなかならないですよね」。正規課程に入るには、高校生と同じように入試を突破しなければならず、社会人にとって容易なことではない。

 

 そこで重要な役割を担うのが、社会に対して強い影響力を持つ東大だ。象徴的な意味を持つ東大が積極的に社会人の受け入れを行うことで他の大学もそれに倣い、社会の価値観を変えていける可能性がある。

 

 最先端の研究をする東大で社会人が学び、再び社会に帰ることで、社会全体に影響を与えられる可能性もある。「自分の仕事に直接は役立たなくとも、世界でどんな研究が進んでいるかを学び、伝えてくれるだけで社会に刺激を与えるいろいろなきっかけになり得ます」

 

 「受験競争が厳しく、働きに出てから大学に入ることは難しい現代、人生の節目で大学に戻ることができる制度は必要だと考えます」。社会人が学び直しを通じてキャリアを構築しながら、一人ひとりが人生を再設計できる環境を用意する。

 

牧野篤(まきの・あつし)教授(東京大学大学院教育学研究科) 88 年名古屋大学大学院教育学研究科(当時)博士課程修了。博士(教育学)。名古屋大学教授を経て08年より現職。著書に『社会教育新論―「学び」を再定位する』(ミネルヴァ書房)など

 

(図1)は OECD「Education at a Glance(2021)」を、(図2)は厚生労働省「令和3年度『能力開発基本調査』」を基に東京大学新聞社が作成。

【記事追記】2022年1月29日13時28分、図出典を追記しました。

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