インタビュー

2021年6月22日

文Ⅰ→教養学部→理学部物理学科→カナダ留学へ! 竹内薫さんの進学体験に迫る

 

 文Iに入学後、教養学部教養学科に進学して科学史・科学哲学を学び、卒業後は理学部物理学科に編入学、さらにカナダのマギル大学へ進学して博士号を取得した竹内薫さん。現在はサイエンス作家として、科学が身近でない人にとっても分かりやすいような科学評論や書籍の執筆、翻訳など多方面で活躍している。進路決定に際してどのような経験をしたのか、そして文系分野と理系分野両方を学んだ経験は現在にどう生きているのか聞くとともに、進学にまつわるさまざまな決断を迫られている東大生に向けてメッセージをもらった。

(取材・鈴木茉衣)

 

「偏見から逃れる」ことのできた学び

 

──最初に科学に興味を持ったきっかけは

 

 小学3年生から5年生までニューヨークにいて、日本に帰ってきてから小学校の科学教室に入れてもらいました。カエルの解剖など生物についての課外授業があって、それが科学に引き込まれた最初のきっかけです。雑誌『子供の科学』(誠文堂新光社)を友達と一緒にたくさん読んだりしていました。中高時代は科学よりも、将棋や写真に凝っていましたね。今は誰も知りませんが、Uコンという有線の模型飛行機にもはまっていました。

 

──法学部を卒業しエリートコースを歩むことに憧れて文Iを受験したとのことですが、好きな理系分野の勉強をすることは考えなかったのでしょうか

 

 まだ高校生だったので世界が狭くて、将来のことを考えるときに近くにいる人をロールモデルにしていたんですよ。日銀から大和証券の副社長になった親戚がすごく羽振りが良くて楽しそうで、ああ、法学部に行くのが一番なんだ! と単純にも思って(笑)。数学と、数学を使う理論物理学が好きだったのですが、それらは趣味でやればいいと考えていたんです。

 

──前期教養課程での学びはどのようなものでしたか

 

 実際に入学してみたら、法律は自分の分野じゃない、全く場違いなところに来てしまったとすぐに気付きました。法律の授業はそもそも形式が自分にあまり合いませんでした。法律の個別のことを教えてもらっていないのに、先生が判例について学生1人ずつに質問するような授業だったんです。他の学生は考え込んでしまって先生にけなされたりしていたのですが、僕はどうせ2択だしと思って適当に答えたら当たっていて、先生に戸惑われて(笑)。自分との相性は大学の授業を受けて初めて分かることなので、高校の時に体験授業などがあったら判断できたかもしれないですね。

 

 結局、点を取るための受験勉強とは全く違う物理学の授業が一番面白かったんですよ。小出昭一郎先生の量子力学が特に印象的でした。それで「やっぱり法律じゃなくて物理をやった方がいいのかな……」とだいぶ考えが変わりました。

 

 法律とも理科とも違う分野ですが、経済学の授業のこともよく覚えています。初回の授業で先生が「私がやっているのは実学じゃありません、虚学です」と言っていたことはいまだに忘れられません。象牙の塔と言えばいいのか、大学での研究の純粋さにとてもびっくりしました。

 

──教養学部へ進学した時のことを教えてください

 

 2年生になる前には既に、法学部には行かないと決めていました。ただ成績は良かったのですが制度上の制約があり、当時は文系から物理学科などの完全に理系の進学先には行けませんでした。進学できる中で一番理系に近い学科を探したら、教養学部教養学科の科学史・科学哲学分科(当時)というところがあったので選びました。理系に近いというだけで選んだので哲学にはあまり興味がなかったのですが、進学してから歴史や哲学的思考の重要さに気付きました。

 

 指導教官の村上陽一郎先生からは、高校の時とは全く違う「思想」としての歴史を教わりました。歴史は単なる事実の羅列ではなく、それぞれの研究者ごとに独自の歴史構築の方法があります。科学史はあまりメジャーな分野ではないですが、人類のテクノロジーについて歴史的に俯瞰(ふかん)するというのはとても大切です。

 

 教養学部では好きな科目を好きに選べたので、科学史や科学哲学の他に文化人類学やアイヌ語、ギリシャ語やラテン語の授業も受けました。音楽大学の先生がやっていた、ベートーベンの楽譜の解釈の授業も新鮮で面白かったです。教養学部を卒業するまでの4年間で、高校までと比べてすごく視野が広くなりました。学問を通じて世界が広がった経験は、一流の先生方の下で勉強できたからこそのもので、それによって偏見から逃れるすべを習得できたのかなという気がします。

 

──仮に理系の進学先を選ぶことが制度上可能だったらどのような選択をしていましたか

 

 今考えると、制度がそれを許したとしても、当時の自分の数学の力では理系の学部への進学は無理だったと思います。数学は独学でやっていたのですが、物理学科の3年生のレベルの数学力に追い付いたのは大学院に入ってからでしたね。これは暗記中心の受験勉強の弊害だと思うのですが、子供の頃にやっていたような、自分の好きなことを深く探究していくという勉強の感覚を取り戻すためにリハビリ期間が必要だったんです。大学の数学は計算ができても駄目で、論理的な構造や証明を自分で考えなくてはいけないから、思考力が問われます。それができる人が後期課程などでも理数系に進むわけですが、挫折して文転する人もいるんですよね。

 

 

他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べる

 

──理学部物理学科へ編入学した時のことを教えてください

 

 大学で行われている数学は極めて抽象的です。ある数学者が物理学者に「君たちの話は具体的過ぎて分からない」と言った、なんていう冗談があるくらい(笑)。そこまでは理論的ではなく、かといってエンジニアリングほど実用の色が強いわけでもなく、両者の中間に位置して宇宙、素粒子、原子などについて記述する物理がしっくり来たので物理学科を選びました。

 

 学士入学する上で、最初は京都大学の理学部物理学科(当時)に行こうと思ったんです。京都大学の先生方の個性やこじんまりした雰囲気に憧れたのと、家を出て京都に住んでみたかったので。ところが、教務の方に電話して学士入学について問い合わせたら「そんなのありません」と。もしかしたら面倒くさくて断られただけかもしれませんが(笑)、当時はインターネットで調べたりもできないので、ないなら仕方ないと東大に切り替えました。

 

 そもそも文系から物理学科に学士入学する人なんていなかったので、制度としては存在していても、試験を受けるのはおそらく僕が初めてだったようです。鈴木増雄先生という人の研究室にふらっと行って、戸惑われながら適当に数学の問題を出されました。でもそれが解けなかったんです。それを見て「これ解けないのか〜、それは厳しいなあ」なんて言いながら先生が解き方を説明しようとしたら、問題を出した本人も解けず「忘れちゃった」なんて言い出して(笑)。途中まで解けていたので、結局入れてもらえることになりました。

 

 勉強に付いていけるかどうか、ということについてはそもそもあまり考えていませんでした。小学3年生の時、英語ができないのにいきなりニューヨークに行って現地校に放り込まれた経験があるので「勉強なんてやっていればそのうち追い付ける」という開き直りのようなものがあったんです。プロセスが楽しければそれで良い、他人と比べるのではなく昨日の自分と比べるべき、という思考は現在も変わっていません。ただ編入学してみたら、他の人が簡単に解けているものを自分だけができないということが時々ありました。数学は独学だったので、所々で基礎的な知識が欠けていたんだと思います。知らなければ解きようがないものもあるので、失敗のたびに知識の穴を埋めていきました。そうやって自分で試行錯誤しながら学んでいくプロセスが楽しくもあり苦しくもある、まさに「勉強」ですよね。誰かが作った体系的な知識を順番にやっていけばそれで全てできるようになる、というのは実は良くないんだと思います。

 

──物理学科での思い出は

 

 重力波の授業のことはよく覚えています。鉄の棒の長さが重力波によって伸び縮みするのを測定する内容で、振動や人の声がノイズになってしまうので深夜に実験をするのですが、ダンプカーが通っただけで駄目になってしまったり……。2017年に重力波の検出がノーベル賞を受賞しましたが、それが4キロメートルもある装置を使って達成されたのを見て、あの授業で使っていた棒では短過ぎて絶対に検出できなかったんだと分かりました(笑)。何事も、最初の実験では机の上に載るくらいのサイズの装置で始めて、試行錯誤を繰り返しながら規模や方法を変えていく。それが物理学の面白いところだと思いますね。

 

──その後、マギル大学で博士号を取得しました。当時のことを教えてください

 

 素粒子論を専攻したいと思い、東大の大学院の院試を受けたのですが、落ちました。当時素粒子論はとても人気があって、専攻に定員よりずっと多い応募があったようです。それで、小さい頃に海外にいてあまり留学に抵抗感がなかったので、カナダのマギル大学に行くことになりました。

 

 カナダでの生活は、まずは寒さが本当にこたえました。今留学するとしたらハワイか、せめてカリフォルニアを選びます……。雪がすごくて、大学に行くために朝アパートを出ると毎日のようにダイヤモンドダストが見えるんです。毎日ダイヤモンドダストなんか見てもしょうがないですよ(笑)。

 

 周囲の学生には、自分で考えた記号を使って他の誰にもわからない解き方で数学をやっている人がいたり、コンピューターが得意過ぎるあまり、大学院生なのに准教授として学校のサーバーを任されている人がいたりして面白かったです。そのコンピューター好きの学生は『指輪物語』ファンで、サーバー全てに登場人物の名前を付けていました。

 

 同期で大学院に入った 10人のうち、博士号を取ったのは3人で、他の7人は皆どこかで脱落してしまいました。博士号を取るのは本当に大変で、根性がないとやっていけないと思わされましたし、欧米の大学の選抜システムの厳しさを感じました。大学入試が一番厳しい日本と異なり、上に行けば行くほど大変になるんです。

 

──進学に関するさまざまな選択を控える東大生へ伝えたいことは

 

 人生で進路の選択をするときに一番大切なのは、それが心から好きかどうかではないでしょうか。好きなものを選択すれば、それが苦難の道だったとしても我慢できます。でも、本当は別のものが好きなのにそれとは違う選択をしたら、必ず後悔すると思います。自分の心に正直に、自分は何が楽しいのかを基準にすればいいと思いますよ。

 

 

科学は楽しくて、ワクワクして、感動できるもの

 

──サイエンス作家として科学が身近でない人に対してその魅力を伝える活動をする中で感じる、科学を分かりやすく伝えることの難しさなどはありますか

 

 分かりやすさと正確さの両立が難しいです。どちらか片方を突き詰めることはいくらでもできますが、それらは相反するものなので、バランスをどう取るのかに懸かっています。バランスを取る上で、文理両方の勉強をやってきたことにより文系の人がどの程度の科学の知識を持っているのか分かるのは役立っていると思います。

 

──新型コロナウイルス感染症の流行に際し人々の科学に関する知識に分断が見られましたが、克服のためには何が必要なのでしょうか

 

 科学リテラシーが欠如している人が多い印象を受けています。科学リテラシーがないために誤った判断をしてしまい、命を危険にさらしている人もいると思います。ウイルスとは何か、変異ウイルスとは何か、ワクチンとは何か、といった基本的な科学的知識がないと判断もできなくて、無意識下で不安に駆られてしまいます。その不安や知識のなさに付け込もうとする人がいるので、知識は本当に大事です。ウェブ上で自分の身を守るための情報を探すスキルや、場合によってはそういった情報にアクセスするための英語力なども必要になってくると思います。

 

──最後に読者へのメッセージをお願いします

 

 科学が好きな方は、ぜひそのまま楽しんでください(笑)。苦手な方に言いたいのは、受験やテストを通じて皆さんが知っているのは本当の科学ではないということです。科学は楽しくて、ワクワクして、感動できるものです。だからぜひ良い科学の本に出会って、本当の科学に触れてみてください。

 

 最近僕がすごく感動したのは、自分が翻訳した本ですが、ポール・ナースの『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』(ダイヤモンド社)という本です。短い本なのですが、著者の人格や生命への愛情が感じられて、生物の勉強にもなるのでお薦めです。

 

竹内薫(たけうち・かおる)さん 83年東大教養学部、85年東大理学部卒。92年カナダ・マギル大学大学院博士課程修了。理学博士(Ph.D.)。現在、サイエンス作家として科学評論やエッセイ、書評などを執筆する他、16年にはフリースクール「YESインターナショナルスクール」を開校。

 

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