COLUMN 2019年5月28日

東大入学式2019・上野祝辞アンケート分析② 回答理由の記述から

 東京大学新聞社は、2019年度学部入学式で上野千鶴子名誉教授が述べた祝辞について、東大内外の全ての人を対象にアンケート調査を行い、東大生(院生含む)603人を含む4921人から回答を得た。この調査では、祝辞を評価したか、学部入学式にふさわしいと思うかを5段階で回答した後、回答の理由を任意で記述できるようにしていた。この記述から、祝辞を個々人がどのように受け止めたのかより詳細に探りたい。

(構成・山口岳大)

 

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東大入学式上野祝辞 依頼した東大執行部の問題意識とは

 

2019年度入学式

 

※凡例

・基本的に原文を尊重し、表記統一は施していない。

・各意見の末尾には、所属・職業と性別、「祝辞を評価するか」「祝辞は学部入学式にふさわしいと思うか」への回答を付記している。

 

◇東大生の回答

 

環境要因、ジェンダー問題の提起に支持集まる

 

 祝辞を評価した東大生の理由記述では、主に二つの側面に注目が集まった。

 

 第一に、「がんばれば報われる」と思えること自体が環境のおかげだと上野名誉教授が述べた点だ。

 

地方公立高校出身の学生として環境が進学に与える影響は非常に大きいと感じる
また女子学生が男子学生よりも実家を離れることが難しい現状も存在する
何らかの理由で東京大学に入学できた私達は多少なりとも社会を良くしていく責任を負うべきだと思うから

(法・4年、男性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

将来リーダーとなっていくであろう東大新入生に、入学という個人の成功が自分の力だけではないということを自覚させ、弱者とされる人への配慮を促したものだったから。

(理Ⅲ・1年、男性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

 第二に、東大のジェンダーの問題を提起した点だ。

 

東大女子や女性、またマイノリティが社会において置かれている状況を非常にうまく表していると思う。上野先生が東大生の性差別の例として出したものは私が日頃から性差別として意識していたものだった。また、そのような状況を改善するために東大生が何をすべきか強く打ち出していて、私個人は非常に共感でき励まされた。さらに、私は1年生の時に会った東大生が保守的で性差別的なことをいう人が多く、東大に入らなければよかったと心底思ったので、上野先生の、このようなスピーチを東大が入学式の祝辞に選んだという点で、東大に希望を持つことができた。

(養・3年、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

東大生は幸か不幸かホモソサエティーな空間であり、一般に社会をリードするようなポストに就く人が多い。しかし、そのような人々に(だけではないが)ジェンダー意識が欠けていることは多い。入学式という場ではあったが、彼ら彼女らに強制的に非常に大切だが、見えにくく、意識しづらいジェンダーの話をしたことには、大変意義があるのではないだろうか。

(教育学研究科・修士1年、男性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

 こうした性差別の側面への言及が多数を占める中、祝辞が、フェミニズムにとどまらずメリトクラシー(人を業績で評価する考え方)批判へ移行していると捉えた意見もあった。

 

一見すると上野の祝辞は女性差別の問題を批判するフェミニズム的な紋切り型のものだと思われるかもしれないが、それだけではない。フェミニズムの問題からメリトクラシー批判へと移行しているように私には読める。東大生というある意味で学力しか取り柄のない私たちには、他の人たちと全く同じように苦手なこと、誰にも言えない悩み、そういうものが当然つきまとう。学力や就職偏差値、年収、そのような画一的な物差しのなかで競争をしている間は、その物差しに照らした優劣でしか他人のことをそしてまた自分のことも測ることができない。それはとても息苦しい生き方だ。大学では、社会に強制されるようなかたちで与えられた尺度ではなく、むしろ自分に相応しい尺度を見つけること、そしてその尺度というものが多様であることを認識したうえで、自分も他者も一面では強い人間でありまた他面では弱い人間であることを認める。上野の祝辞はそのような大学的な知へのエールだと私は読んだ。

(人文社会系研究科・修士2年、男性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

 祝辞の内容にとどまらず、祝辞が及ぼした影響に目を向ける意見もある。

 

祝辞そのものの内容に加えて、社会的な影響の大きさ。議論を生んだこと。なにより、今年東大に入学した1年生は女性差別について発言、議論しやすいのではないかと思う。あるいはそれ以外の差別問題、社会問題についても。

(法・3年、男性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

現状の男女平等が進みつつある世界で日本がそれに遅れていることは確かであり、世間の注目するこの場でこの問題に言及すること自体が世間における議論の活発化に繋がると考えられるため。

(理Ⅱ・1年、男性、「評価する」「そう思わない」)

 

データや表現の恣意性に反発

 他方、これらの面をたたえつつも一定の留保をつける意見が目立った。

 

本来伝えたかったであろうメッセージはふさわしいと思うが、全編にわたり散見される言葉選びや不十分なデータから強引な解釈を導くなどの問題点が些細なものではなく強烈な印象を残すものであり、反発を招いたと考える。男女の性差を除くことは今日盛んに議論されている問題であり、祝辞においても挙げられたように東大でも女子学生が少ないなどの実感が得られる。しかしこの議題はこれまでの社会のあり方や固定観念に沿うものではないため、些細に注意を払った議論がなされなければ、過激化して本来の思想とはかけ離れた思想をもった一部のフェミニストのような印象を与えてしまう。特に新入生に問題を投げかける祝辞という場面であったことも考えあわせると、今回の祝辞は内容の選び方についてあまりに慎重さを欠いたものであったのではないかと思う。

(養・3年、女性、「どちらとも言えない」「どちらとも言えない」)

 

 祝辞に否定的な回答をした理由としては、こうした恣意(しい)的な根拠づけに対するものの他、新入生を祝うはずの入学式にふさわしくないという意見もあった。

 

知らなければならない重大な問題について新入生に説明したのは良いが、少々言葉選びが過激だと感じる点があったため。
当日、自分自身男の新入生としてはかなり耳が痛く、別の機会にじっくり聞きたい、と思っていた。

(文Ⅱ・1年、男性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

 その他、既存の東大内の問題を東大・東大男子学生への偏見という形で新入生に押し付けているのではないかという意見、教育格差や経済格差など女性差別以外の要素にも目を配るべきだったという意見が散見された。

 

最終的な結論自体は良いと思うが、そこに至る推論が不適当。他大入試での女性差別、テニスサークルの東大女子差別、集団強姦事件、合コンでのモテ方など、新入生が今まで関与していた話ではない。これから是正していってほしいというのなら分かるが、東大・東大男子への偏見と一般化して新入生に押し付けるのは呪詛的でお門違い。(むしろその偏見は除かれるべきものではないのか)ましてやオーラルコミュニケーションであることを考えれば、新入生が身に覚えのない説教をされているように感じるのは当然。
東大生が環境面で下駄を履いていることや、女性学の起こりについての話には至極納得したが、上記のセンセーショナルな部分によって霞んでしまったように思った。

(文Ⅱ・2年、男性、「どちらとも言えない」「どちらとも言えない」)

 

東大生になったことは、もちろん自分の努力の証でもあるけれど、この大学に入学した時に受からなかった人とその環境を忘れてはいけないというメッセージは、正しいと思うから。でも、上野さんは女性差別に特に重点を絞ってしまいましたが、教育格差、貧富の差、社会資本の再生産など、他に様々なファクターがあることを強調するべきだったと思います。そのため、もちろん間違ったことは言っていないし、日本社会が立ち向かわないといけない重要な問題だとは思いますが、感情論として批判されたりなど、今回のリアクションが起きたのではないかと思います。

(文Ⅰ・2年、女性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

問題点は本当に問題か

 

 これらの問題点が必ずしも重要ではないと考えた回答者もいる。

 

東大生ひと学年が一堂に会するのはおそらく入学式と卒業式くらいであろう。極めて貴重な機会である。
祝辞において最も大事なことはなんであろう?
確かに彼女の祝辞において、統計についての誤った解釈や男子学生に対する過度な一般化が含まれていたかもしれないが、それは対して重要ではない。なぜなら東大生には祝辞の内容を鵜呑みにしてそれを完全に信じてしまうような馬鹿はいないであろう(そう信じたい)からだ。
私は祝辞において最も大事なことは、話を聞いた人の人生にどれだけ良い影響を与えるか?であるとおもう。内容よりも、結果的にどれだけ聞く側に影響を与えられたかが大事だと思う。
結果として彼女の祝辞は多くの人の記憶に残り、多くの議論を呼び起こした。多くの東大生に性について考えさせ、意見発信させ、彼ら彼女らの知を深めさせた。これは明らかに彼ら彼女らの人生をより良いものに変えたであろう。たった十分ほどのスピーチでここまでの反響を呼んだのだから極めて評価に値する。
東大生ひと学年が一堂に会するのはおそらく入学式と卒業式くらいであろう。そんな貴重な機会を最大限に有効活用したと言える。
私は昨年の祝辞を全く覚えていないが一年後もこの祝辞は覚えている、そんな気がする。

(理Ⅰ・2年、男性、「たいへん評価する」「そう思う」)

 

新入生をやや力強い言葉まで用いてアジることで学問の世界に、言説の世界に引きずり込ませることは、そうした世界に迎え入れられるだけの人として、目の前の人を評価してる(祝っている)ことになると思う(最後の「ようこそ、東京大学へ。」ってフレーズもそういう文脈から出た言葉として読める)ため。

(文・3年、男性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 東大生が祝辞を評価するか否かは、雑ぱくに捉えるならば、祝辞の力強いメッセージと、その主張を裏付ける論理や表現がはらむ問題の、どちらの側面に重きを置いて評価するかによって分かれているといえるだろう。多くの東大生は祝辞の両面を把握しており、評価軸の設定の違いがそのまま回答の相違として表れているにすぎないのではないか。

 

 とはいえ、紹介した記述が示す通り、祝辞を評価する側にもそうでない側にも、その理由にはバリエーションがある。自己の体験に重ねるもの、語られていないものに目を向けるもの、聞き手・読み手への影響まで含めて理解しようとするもの。ここに単純な分類を設けて説明するには、回答はあまりに多方面に及んでいる。

 

 ここで、図らずも東大生は、祝辞で述べられた「正解のない問いに満ちた世界」の一端に立ったといえよう。祝辞を目にした、耳にした多くの東大生が、ただそれを額面通りに受け取るのではなく、自分にしか持ち得ない視点から、独自の解釈を紡ごうとした。このムーブメントが、上野名誉教授が語った「これまで誰も見たことのない知」を生み出す萌芽になっていることは確かなようだ。

 

◇東大生以外の回答

 

女性の違和感を代弁

 

 東大生以外の回答で目立ったのは、自分の違和感が言語化されたと感じる女性の声だった。

 

大学でジェンダーを学ぶ機会があったが、こんなに心に腑に落ちる内容はとても共感が持てたため。家では女の子なんだから短大で良いよと言われて育ちました。(実際には4年大学に通いましたが)実際に社会人として働き始めて、女性だからある業務内容までは教えなくても良いと言われたり、女を利用して仕事してるんじゃないのか?など言われたこともありました。社会に出れば出るほど、女性が向上心を持って行動すればするほど、壁が高くやる気をなくしていました。そうゆう経験を、代弁していただいたような気持ちになりました。

(30代会社員、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

私自身が生きていく上での大きな気づきをいただいた為。
涙が出てとまりません。今まで差別を受けていることに蓋をしてきたのだなあ、と実感しました。そして強がって生きてきたのだと気づきを得ました。がんばりかたの方向が見えました。
今回の騒動により、祝辞内容を目にすることになったものの一人として、メッセージを受け取らせていただき感謝しています。(後略)

(40代公務員、女性、「評価する」「たいへんそう思う」)

 

 祝辞は新入生が対象だったが、学外の人にも気付きを与えていたようだ。

 

努力だけではなく、周りの環境によっていかされている。という、自分だけのことを考えるのではなく、周りのことを意識することになった。また、自分の力を自分が勝ち抜くためだけに使わないで。ということばが、中間管理職をしている自分にものすごく突き刺さり、今までの自分の仕方が恥ずかしくなった。
私の中で、こんな世の中に誰がした!と子どもや自分よりも若い人からいわれたら、それは、私達です。という、年齢だとおもっているので、これからは、自分の力な、使い方、いろんな人との関わりかたを見直し、行動したくなりました。

(30代公務員、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

東大卒業生です。「努力が報われると思えること自体が恵まれている」という指摘が、自分自身の環境に対して言われているようではっとしました。
「がんばりを自分のためだけに使わない」ことを意識して生きていこうと思いました。

(30代会社員、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

 「入学式にふさわしくない」という意見がある一方で、祝辞が「入学式」という場で行われたことを積極的に評価する意見も。

 

おそらく入学生には男女問わずピンとこなかったかもしれない。私が当時の事を思い出してもそうだと思うから。しかし世の中に出る前に伝えておくべき内容であり、いつが一番適切かと考えると合格を掴んで入学するあの場が一番ふさわしいと思う。私も入学時に聞いて知っておいたら、もっと将来の選択の前に考えることができたと思うし、さらに有意義に学生生活を過ごせたかもしれないと思う。

(40代エンジニア、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

入学式という「話を聞かなければいけない」「聞かされる」場で、それが何であれ、何かが心に残る内容だと思うから。多分、これから先の人生でふとした時に思い出す内容だと思うし、そうであって欲しい。卒業式ではなく、入学式っていうのがいいと思う。

(40代主婦、女性、「評価する」「たいへんそう思う」)

 

 ジェンダー問題に対し東大が真剣に取り組むことが表明されたと見る意見もある。

 

学校や企業で何か問題や不祥事があった場合、式典で誰かしらそのことに触れ、「改善していく」「二度と起こさない」(のでお前らも意識を共有し協力せよ)などと言うのはどこでも必ずやります。逆に誰も触れないと「問題意識が無い」との世間のバッシングは免れえません。たとえ新入生への祝辞という体裁でも、組織から社会へ向けたステートメントです。上野氏の祝辞の内容と上野氏を指名したことは素晴らしいですが、東大の問題に言及した(させた)こと自体は「普通」「当然」です。

(40代主婦、女性、「たいへん評価する」「たいへんそう思う」)

 

親世代がまだまだ男尊女卑な考え方な為に東大に女子学生が集まらない現実や、医学部差別が起こった現状を、若い世代の人々に是正していって欲しいし、当たり前を享受してる男子東大生に強く意識して欲しいから。
ただ、お祝いの席で言うべき事かとの批判も一理ある。
ただ、東大はジェンダー問題に真摯に取り組むと外部にアピールするには絶好の機会だったと思う。

(50代主婦、女性、「評価する」「そう思う」)

 

男子学生、不利な環境にある学生に配慮を

 

 他方、祝辞に批判的な意見には、根拠の恣意性への指摘に加え、祝福の要素に欠けるというもの、男性や不利な環境にある学生への視点を欠いたというものがあった。

 

東大入学式という注目される場で男女格差に触れること自体は悪くはないと思うのだが、もう少し祝辞の祝いの部分が強調されるべきだったのではないだろうか。

(10代学生(国公立大)、女性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

自分が生徒(所属高は進学校)に生育歴の優位さや無自覚について話をしたとき,つらそうにしているのはむしろ環境の壁を乗り越えて大学第一世代を目指している生徒だったりする。(後からそっと「実は私は」と話しに来てくれたり)だから今は,この中にもそうやって乗り越えた人もいるはずだけれど,という話をする。これらの経験からは,今回のスピーチはただただ優位な立場の学生に向けられており,実はその中にいる不利を乗り越えた生徒への眼差しが一切無いという点では残念。祝辞としては,この中には多様な人達がいるけれども,という前提に立つべきであったと考える。

(50代高校教員、男性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

男子生徒への配慮が著しく欠けている。
男子生徒が全員こうであるといった固定観念があるように見受けられた

(10代高校生、男性、「どちらとも言えない」「どちらとも言えない」)

 

 また、新入生に祝辞のメッセージが届いたかを疑問視する声もある。

 

冷や水をかけたようであるが、スタートにおける心がけとみればかような祝辞もあるのではないか。ただ、入学ばかりで浮かれているだろう入学者にはその思いは届かなかったのではなかろうか。意義深い話であったも届かないとね。

(60代大学教員、男性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

新入生よりも、東大の在校生に話した方が理解が得られる内容だったのでは。

(30代教員、女性、「評価する」「どちらとも言えない」)

 

 東大教員からは、東大の現状が反映されていないという指摘も。

 

東大女子学生に、サークル等での差別があることは、現場教員として何度も当事者から聞いている。それに触れた上野先生の意図は理解するが、何よりも冒頭の発言によって、東京大学の入試自体に(男女差別の)不正があるような主張に読める。これは由々しいことだと、東京教員(編集部注:原文ママ)の一人として大変残念に思う。

(50代大学教員、女性、「評価しない」「そう思わない」)

 

東大の男性社会の中で研究生活をしていても、そんな絵に描いたような女性差別者には現実にはほとんど出会わず、普通に女性を研究仲間として対等に受け入れてくれる人がほとんどなのに、その人達の存在をなかったことにして、今でも根強い差別があるように世間に誤解させるから。悪くない人たち(この場合は男性)のことを曲解して悪者扱いするような論調には賛同したくない。

(30代大学教員、女性、「評価しない」「そう思わない」)

 東大生以外の回答者の多くを占めたのは、すでに社会経験豊富な社会人。それゆえ、自己の経験に裏打ちされた記述が目立った。

 

 祝辞を支持する回答でよく見られたのが「学生のときには分からなかったが、今なら理解できる」という言葉。ジェンダーの問題にせよ、弱者の存在にせよ、社会で身をもって体験した今だからこそ、その重みがよく分かるということだと思われる。将来的に社会を動かすことになる学生に今のうちに知っておいてほしいという願いや、自分自身にとっても意義深いものだったという感想が多く寄せられた所以だろう。

 

 他方、実際の社会を知っているからこそ、それが祝辞に必ずしも正しく反映されていないことが非難されるという側面もある。男女や強者弱者という枠組みで語ることはある程度は避けられないにせよ、正確な認識や相応の配慮が必要であるという意見は少なくない。

 

 支持するか否かを問わず、学部入学式の祝辞に東大生以外からこれだけの反響があったこと自体、上野名誉教授が取り上げた事象が、潜在的に回答者一人一人にとって、ひいては日本全体にとって、切実な問題であったことを物語っているといえるだろう。

***

 このアンケートは、4月18日〜5月10日にかけ、東大生に限定せず全ての人を対象に実施した。Googleフォームで回答を受け付け、東京大学新聞の紙面及びオンライン、SNSで回答を呼び掛けた他、東大生向けにはLINEなどを通じて周知を図った。

 

 属性に関しては、全ての人に年齢(10歳区切り)、性別、学生か否かを聞き、学生でないと答えた人には職業も聞いた。学生と答えた人のうち、東大以外の学生には通学している学校の種類を、東大生(院生含む)には学年と所属を尋ねた。いずれも回答者自身の申告にのみ基づき、実際と異なる可能性がある。

 

2019年5月28日10:45【記事修正】「環境要因、ジェンダー問題の提起に支持集まる」の中で「〜〜批判へ移行しているという捉えた意見もあった。」となっていた誤植を修正しました。

 

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