報道特集

2018年4月1日

【蹴られる東大①】本音で語る、僕らが海外を選んだ理由(上) 海の向こうへの挑戦

 日本人の留学熱が高まっている。日本学生支援機構の調査によると、統計を始めた2009年度の約3万6千人と比べて、2016年度の日本人海外留学者数は約9万6千人と、3倍に迫る勢いだ。半数以上を1カ月未満の短期留学が占めているが、中には大学の学位取得を目指し、長期にわたる留学に挑む人々もいる。

 

 近年、日本人学生による海外大学への正規入学を日本の経済界や国も後押ししている。この2年の間に柳井正氏や孫正義氏といった日本の財界を代表する人々が、自身の財団を通じて海外の大学で正規の学部生として学ぶ学生に奨学金の給付を開始し、ついには日本学生支援機構も、正規の学部留学生への支援を開始した。社会のグローバル化が進む中、世界を舞台に活躍できる人材の育成は日本社会にとって急務なのかもしれない。

 

 かつてなく海外大学への扉が身近になっている時代に、黙っていても東大に学生が集まった時代は終わりつつある。連載企画「蹴られる東大」では、優秀な日本人の学生が東大と海外のトップ大学双方に合格し、東大を離れ海を渡る現象に焦点を当てつつ、外部の有識者や東大教授に取材。東大と海外トップ大の違いをできる限り偏りのない視点から描き出すとともに、その違いから見えてくる、「国境なき大学選び」の時代に東大が取るべき道を探っていく。

 連載初回の今回は、2017年の4〜7月まで東大に通い、9月から米国の名門大学に渡った3人の学生に、座談会形式で米国大・東大併願の経緯や、東大での半年間の生活について語ってもらった。

 

(本文中に付されている数字をクリックすると注に飛び、注の冒頭の数字をクリックすると本文の該当箇所に戻ります)

 

(取材・高橋祐貴 撮影・山口岳大)

 

 

参加者(写真左から順に)

上田裕路さん 私立武蔵高校出身。理科Ⅰ類から米国名門リベラルアーツカレッジ[1]のカールトン大学に進学

西尾慧吾さん 私立灘高校出身。文科Ⅲ類からイェール大学に進学

鞍馬陸さん 私立開成高校出身。理科Ⅰ類からプリンストン大学に進学

 

険しき米国大受験への道のり

 

──今日は皆さんお集まりいただきありがとうございます。初めに、皆さんが米国大受験を決意した経緯について聞かせてもらえますか

 

 

西尾 米国大受験を決意したのは高3の8月末でした。高校の二つ上の、ハーバード大学に行った先輩とたまたま話して、全寮制のハーバード大学の寮で友人と夜な夜な語り合う楽しさについての話などにインスパイアされたのがきっかけです。当時は国際関係論をやろうと思っていたので、世界からいろいろな人が集まっている米国の大学っていいな、と感じました。

 

上田 僕は高2の夏にHLAB[2]というサマースクールでリベラルアーツ教育の魅力に触れ、米国の大学に興味を抱きました。それまでは、なんとなく東大を受けようと考えていました。しかし東大だと必ずしも自分の進みたいと思った分野に進学選択で行けるとも限らず、後に興味を抱いた心理学も理系なのか文系なのか曖昧な学問だったので、(文理の区別がなく専攻も入学後に自由に選べる)米国大にチャレンジしてみよう、と思いました。

 

鞍馬 漠然とは結構前から考えていましたが、強く意識したのは高1冬に高校で開かれたカレッジフェアに参加したときですね。このイベントでは米国や英国、フランスの大学の関係者から話を聞けたのですが、その中でリベラルアーツ教育に引かれました。僕は数学が好きな一方で経済や歴史といった社会科学にも興味があったので、分野融合的な学習ができ、レベルを自由に選択して授業を取ることのできる米国の大学の柔軟な環境は自分に合っていると思いました。

 

──アメリカの大学を受験することを決意してからは具体的にどのような対策をしたのでしょうか

 

鞍馬 高校に海外進学担当の教員がいたので、まずはその人にお世話になり、高3の夏になって一人で書くのが難しいエッセー[3]のためにRoute H[4]という塾に通いました。テスト対策は学校の先生にも手伝ってもらいつつ自分で進めました。

 

上田 僕はまずアゴスジャパン[5]という塾に行ってテスト対策をし、そのまま塾でエッセーも見てもらいました。エッセーは他にも留学フェローシップ[6]のサマーキャンプで出会った先輩や、内定をいただいた日本の米国大向けの奨学金団体の先輩にもチェックしてもらって、それでなんとかしたという感じです。

 

西尾 対策というと、エッセーは12月に入って1カ月だけ通ったRoute Hで見てもらいました。米国大受験において評価の対象となる課外活動については、高校で生徒会長を務めるなど米国大を意識する以前から手広くやっていたので、決断した後に改めて受験を意識してやることはありませんでした。

 

──ちょうど課外活動の話が出ましたが、皆さんは課外活動についてはどのようなものをやっていましたか

 

西尾 生徒会長以外にも、いろいろなことをやりました。模擬国連[7]という海外大受験においては王道の活動と、地元でやっている国際交流イベントの実行委員長、国際シンポジウムへの参加などです。修学旅行で知り合った人と沖縄戦の遺品を整理するボランティアを始めたり、高校生向けの起業コンテストであるキャリア甲子園で賞をいただいたりもしました。

 

 

上田 僕はそれこそ普通の日本の高校生がやるような活動をしていました。軟式テニス部とESS(English Speaking Society)に所属していて、受賞歴というのもESSでやった英語劇で小さな大会の賞をいただいたくらいです。高3の3月からフランスに2カ月留学する機会があって、それが高校生活の中では一番刺激的でしたね。海外大受験のかいわいでは、模擬国連やWorld Scholars Cup[8]のような活動をしている人が多いですが、必ずしも真似をする必要はないと思います。僕は王道ではない活動ばかりしていましたが自分自身では好きなことをやれていたと思っているので、もし当時に戻ったとしても、他の活動に手を出すことはないでしょう。

 

西尾 フランスはどうして行ったの?

 

上田 学校で中3から第二外国語を学べるプログラムが用意されていて、その一環で行かせてもらったという。

 

──それで留学まで行けるというのはすごいですよね。鞍馬さんは課外活動についてはどうでしたか

 

鞍馬 そうですね…。まず思い付くのが数学をやるLLSという部活に入っていたんですけど。

 

 

西尾 何の略?

 

鞍馬 Logic Lovers Society。

 

一同 かっこいい(笑)。

 

鞍馬 他にも校内では体育祭の実行委員やクラス代表を務めました。校外では、友人に紹介してもらった筑波大学で大学の先生に数学を教えてもらえるプログラムに参加していました。課外活動をやらなければならないというプレッシャーがあってさまざまなことをしましたが、その中でも好きなことができた、というのが良かったと思います。

 

──先ほど上田さんの話の中で高校の環境という話題に少し触れましたが、皆さんが受験するに当たって高校からはどの程度のサポートを受けることができましたか

 

鞍馬 僕が開成についてまず言いたいことは、自由に活動できる環境があったということです。米国大受験に向けて自由に課外活動に取り組めたのはありがたかったですね。サポートに関しては海外大受験専門の教員がいたことが大きいですが、自分たちの代が初めて、という感じだったので、先生も生徒も互いに手探りの状態で進めました。教科の先生2人とスクールカウンセラーまたは校長から推薦状がそれぞれ1通ずつ必要になりますが、それらの翻訳は学校側で行ってくれました。僕の場合はそれに加えて筑波大学の先生にも推薦状を書いてもらいました。

 

上田 武蔵の場合は、まず学校の直接的なサポートとしてはネーティブの先生が海外大進学支援の窓口となってくれていました。この先生は30年前からポツリポツリと出ていた海外大に進学する生徒の支援をずっと担当していたため、場数を踏んでいました。推薦状も依頼すると英訳までされて気がついたら出来上がっているという感じでしたね。加えて間接的なサポートとして、学校に10年以上前の卒業生とつないでもらい、エッセー執筆や学校選びに助言をいただきました。

 

 

西尾 灘高は、10年くらい海外大に進学する生徒が出ていて、その面倒を見ていた先生がお世話になっていた生徒会の顧問でした。もともと近しかったのもあり頼りにしましたが、推薦状の内容は、完全に任せるのではなく、自分が各アプリケーションとのバランスを鑑みながら、先生と一緒に考えていきました。米国大受験では、自分のエッセーと推薦状の内容を調整する必要があるため、ある程度推薦状の内容も自分でコントロールする必要があります。

 

──米国大受験で一番難しかったことは何でしょうか

 

西尾 エッセーですかね。まずネタ出しに苦労し、友達や親に自分について聞いてどのようなテーマについて書くかを探りました。やっとエッセーを書き上げたのは一般出願締め切り直前の年末のことです。あとは日本のセンター試験にあたる共通テストのSAT[9]。私は帰国子女ではなかったので英語は苦労しました。米国大を目指し始めたのが遅かったため、本来なら年6回受けることが可能なSATを受ける機会が3回しかありませんでした。

 

上田 僕もエッセーに一番苦労し、塾のカウンセラーや学校の先生、友達に相談してテーマを決めていきました。僕の場合は親とはあまり話していませんが、話しておけばもっと面白いテーマが出てきたかもしれません。実際にエッセーを書いた経験のある米国大の先輩に、同じ題材から興味深いストーリーを描き出す方法と言いますか、テーマの「掘り方」について教わったりもしました。最終的には普段何気なく接している人たちについて、「自分の物差しだけでは計れない多様さがあることに気づいた」という掘り下げ方をして書き上げました。

 

 

鞍馬 振り返ってみて大変だったのは奨学金関連ですかね。やはり大学によっては年間およそ7万ドル(700万円)などと学費が高いので、親からも心配されていました。最終的に受験の直前に国内の奨学金団体から支援を受けられることになったから良かったものの、奨学金を取れなければ自由に受験することはできなかったでしょう。二つ目は時間管理です。日本と米国の大学双方を受験するだけで大変でしたし、僕の場合SATの数日前に実行委員を務めていた運動会があったので、長期的な視野に立ってそのときやるべきことを判断する必要がありました。

 

東大受験、そして駒場での生活

 

──それではここから、東大受験の経緯について伺っていきます。まず皆さんが東大併願を決めた理由をお聞かせください

 

西尾 東大受験は、米国大受験を許可してもらえるよう親を説得するための条件でしたね。とりあえず東大は行ってくれ、と言われて、「あ、はい」というか。後は、高校を卒業した後、9月に米国大学に入学するまでの4カ月のギャップタームの間も勉強をしたかったので、そのための環境を確保したいという思いもありました。米国大受験を決めたのが遅く全落ちの可能性もあったため、浪人を避ける意味合いもありましたね。

 

上田 僕も高3の6月に米国大受験を決意したのですが、その時の親を説得するための条件が「両方受ける」ことでした。高3の8月に留学フェローシップでエッセー執筆の大変さを知り、一旦東大受験をやめようとしましたが、9月に学校がまた始まると、学校で日本の大学受験向けの勉強をするのも楽しかったですし、成績もそこまで悪くなかったので、受けられるなら受けてみよう、と最終的には東大も受験しました。

 

鞍馬 2人と似ているのですが、やっぱり親からそういう風に言われていたんですよね。高校の普段の授業が日本の大学の受験を意識していて、周りで東大を受ける人も多かったので、併願に尻込みするようなことはありませんでした。もしギャップタームで通うことになったら日本の大学がどういうものかを見ておきたい、という動機もありました。

 

 

──どのように2種類の大学受験の準備を並行して行いましたか

 

鞍馬 僕は時期ごとに集中することを変えていましたね。高3の夏は日本の大学受験の勉強をし、夏過ぎから10月ごろまではエッセーに集中しました。アーリーアクション(早期出願)締め切り後の11月は日本の勉強をし、また年末が近づくとエッセーに注力して、1月からはほぼ日本、という感じです。

 

 

上田 高2の夏までは普通に東大を受験するつもりだったので何となく受験勉強はしていました。英語だけはしっかりやっていたので、いざ両方受けるとなったときも、帰国子女でないにしては苦労が少なかったのかな、と思います。日米併願をした先輩方からは、共倒れになる危険があるからどちらを優先するのか決めた方がいいと言われていて、東大は浪人という選択肢も考慮すれば挑戦する機会がまだあるというのと、米国大のリベラルアーツ教育により惹かれていたことがあり僕は米国大受験を優先しました。年末までは学校の授業をきちんと聞き、エッセー執筆の合間に日本の勉強をして過ごしました。結局センター試験の前日までエッセーを書く羽目になっていたので、ろくに勉強をしないでセンター試験を受け、その後は基本的には東大の受験勉強をしていました。

 

西尾 僕は6月末まで生徒会長を務めていてあまり勉強もしていなかったのに、8月に突然米国大受験を決めたせいでSATの勉強やエッセーの執筆などを全て同時並行でやらなければならなくなり、東大の対策をやっている場合ではなくなってしまいました。12月までは海外のことだけをやり、東大は1、2月だけで詰め込みました。

 

 

──かなり準備期間が短かったと思うのですが、センター試験はいかがでしたか

 

上田 僕実はセンターの社会でどの教科を受けるか最後まで迷ったままで、ついぞなんの勉強もしないまま1月に突入しまして。やらなくても点数がある程度まで取れる教科ということで結局地理にして、参考書を時間がある時に買いに行き、センターの前日に2冊組の参考書の片方だけを読み終えてセンター試験に臨みました。それまで一度も学校で勉強したことない地理で。

 

西尾 ん? 学校でなに選択してたん?

 

上田 日本史か地理選んで、って言われて高2のとき日本史を選択した。

 

一同 (爆笑)

 

 

上田 化学も無機化学でつまずいて勉強しなくなっていたので、東大なら9割は欲しいセンターで55点を取ってしまって。2次の数学も6問あるうちの一つも完答できなかったので、本当に何してたんだろう、という感じです。

 

西尾 私は世界史・日本史選択だったのですが、日本史の方はろくに教科書を読んでなかったので、1月5日からセンターの勉強を始めようと思い、4日間で教科書を読み込んで、残りの日でひたすら過去問を解きました。1日6年分。

 

鞍馬 センターは結構普段の勉強で意識して対策していたので、1月になってからは過去問を解くなど実践的な対策に集中できました。準備はできるだけ早くからするようにしていましたね。

 

上田 偉い。

 

西尾 もう(鞍馬)陸のコメントだけ載せればいいよ(笑)。私は日本史運試しだったから。言うて4択やからこんなん当たるんちゃう、みたいな。

 

──では、そうして入学した東大での半年の生活について、お話を伺ってもよろしいですか

 

西尾 結構東大の人たちとは仲良くなれました。灘は男子校で理系が3/4を占める限られたコミュニティーでしたが、灘より多様な環境である文Ⅲで勉強できたのは楽しかったです。哲学は真面目に勉強していました。景山洋平講師(教養教育高度化機構)のハイデッガーを読む授業を取って、ハイデッガーだけは研究対象にするのをやめよう、と思ったり(笑)。関西人の私にとっては東京に住む経験も良かったですね。サークルには入っていませんでしたが鈴木寛先生(公共政策大学院)が主催する学芸饗宴(通称すずかんゼミ)に所属していて、周りのレベルが高い中で楽しい時間を過ごせました。

 

上田 僕はフランス語を高校で勉強していたので、英語以外の言語を高校以前に習得していた学生対象のクラス[10]であるインタークラス(既修外国語クラス)に所属していました。このクラスは変人が集まっていて面白かったですし、科類もごちゃ混ぜで25人くらいの少人数だったので、クラスの結束がすごく強かったです。クラスが楽しかったため、なんだかんだ毎日授業には来ていました。何を思ったかサークルは三つ入って、スポーツ愛好会の軟式テニスパートでずっとテニスをし、お笑いサークル笑論法でかねてからやってみたいと思っていた漫才に挑戦し、6月に定期演奏会があるオーケストラが一つだけあったのでそこにも入って、バイオリンを演奏しました。

 

鞍馬 僕が一番東大で楽しかったのはTLP[11]フランス語の授業ですね。サークルは数学や物理に関するゼミを開くATOMSというのに入っていて、授業とは関係なく自由に勉強できたので良かったです。授業はあまり出ていないのもありましたが、自分が履修していない授業にも頻繁に参加していたので、結局大学にはほぼ毎日来ていました。後はオフィスアワー[12]はありませんでしたが、積極的に話を聞きたい教授にアタックし、議論をしていました。東大には1学期しかいないことが分かっていたので、できることは全てしよう、という意気込みでした。

 

※受験での苦労話や東大生活について語ってくれた3人。次はいよいよ米国での大学生活、そして東大と米国の大学の比較について語ってもらいます。次回連載予定は4月3日です。

 

お断り:特集名にて「大学を蹴る」という表現を使用したことについて、ご不快に思われる読者の方もいらっしゃるかもしれません。この特集名は「東大は一番だ」という未だ根強く残っている固定観念から離れなければ東大の成長は望めないのではないかという編集部の問題意識に基づいたものであり、実際に東大をやめて海外大に進学した学生が東大をないがしろにしているということでは決してないという点をご理解いただけると幸いです。

 

【蹴られる東大】

本音で語る、僕らが海外を選んだ理由(下) 海の向こうで見たもの

学生目線で比べる東大と米国トップ大

ハーバードで2年間 気づいた「自分、東大、ハーバードの強み」

番外編 ハーバード大生と東大生が見る東大の「国際競争力」

拝啓 悩める高校生へ 〜東大生とハーバード大生が伝える、2大学の魅力〜

東大を勝たせた教授が語る、東大に足りない「危機感」と改革

勉強に対する姿勢の差 東大生は勉強していると胸を張って言えるか

開成生はなぜ海外大を目指すのか・開成学園柳沢校長インタビュー

東大は本当に「蹴られて」いるのか 鈴木寛教授インタビュー

蹴られて当然?東大生もうなずく「とりあえず東大」の終わり


注 

※冒頭の数字をクリックすると本文の該当箇所に戻ります

[1]米国で一般的な小規模大学。主に教養学部のみから成り、密な教育を強みとする

[2] HLAB…「ボーダーを越えたリベラル・アーツ」をコンセプトに開催される、日本及び世界の学生を招いて行われる教育・国際交流プログラム

[3] アメリカの大学受験では作文の提出がほぼ必須となる。自分の個性などをアピールする内容の共通エッセーや、志望理由等を聞く学校ごとの個別エッセーがある

[4] ベネッセコーポレーションが運営する、海外大トップ校を目指す高校生のための塾。テスト対策は行わず、主にエッセーの執筆指導を中心に行っている

[5] 海外の大学・大学院進学指導塾。非英語圏の受験生が英語力を証明するために受けるTOEFLや、米国のセンター試験にあたるSATといったテストに備えた対策に加え、エッセー指導、進路カウンセリングなどを包括的に行っている

[6] 2013年に海外大学に在籍する日本人学生が主体となって立ち上げたNPO法人。サマーキャンプなどを通じて、現役海外大生による高校生の海外大学進学支援を行っている

[7] 1923年に米国ハーバード大学で「模擬国際連盟」として始まった、学生が国連の国際会議を模して議論を交わし、国際政治への理解を深める教育プログラム

[8] 2012年より日本大会が行われている、学生が教養を競い合う国際的な知的競技で、ディベートやエッセー、ペーパーテスト、クイズの4種目から成る。日本大会を勝ち抜くと世界大会に出場でき、そこで上位20パーセントに残るとイェール大学で行われる決勝大会に進むことができる

[9] 米国でのセンター試験にあたる共通テスト。民間の業者によって運営され、米国外の生徒の場合1年に6回受験可能。国語(英語)と算数のリテラシーを問うSATと、個別の教科の知識を問うSAT Subject Testから成る。Subject Testは2~3教科を受験する

[10] 東大には、選択した第二外国語を元に振り分けられるクラスが存在する。必修授業や文化祭もクラス単位での参加となる

[11]トライリンガルプログラム:入試の英語成績上位1割の学生のみ受講可能な初修外国語の特別プログラム

[12] 米国の大学で一般的な、教授が学生と話すために時間を指定して居室を開放する制度

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