学術

2025年12月23日

2025年の東大の研究を振り返る

 

 

 今年も多くの東大に関係する研究者の研究成果や功績が認められた。その中から日本学士院賞、文化勲章、文化功労者、紫綬褒章に選出された11人の研究内容を解説。今年は The Asian Scientist 100(2025年版)にも東大から3人が選出。併せて紹介する。東大の多様な研究をのぞいてみよう。(執筆・山本桃歌)

 

日本学士院賞

 

学術上特に優れた論文、著書その他の研究業績に対し授与される。

 

岡部 繁男 教授(東京大学大学院医学系研究科)

 

 分子細胞生物学専攻・神経細胞生物学分野所属。「可視化技術の開発による神経回路形成機構の研究」により受賞。蛍光で標識されたタンパク質を用いた、神経細胞内のタンパク質の新しい可視化技術を開発した。この技術により、軸索(神経細胞がのばす突起)とシナプス(神経細胞同士の情報伝達に重要な構造)の動的な変化を初めて明らかにした。軸索内部の細胞骨格(タンパク質の重合により形成される線維状の構造)が重合と脱重合を繰り返し、軸索の先端に新しい構造が付加されることで、軸索が成長することを示した。同技術を用いてシナプスに集積するタンパク質を可視化し、シナプスが形成と消失を繰り返すことで神経回路が成熟することを発見。シナプス形成の制御機構が細胞の種類により異なること、脳疾患を持つ動物ではシナプスの形成過程に障害があることも明らかにした。

 

森元 庸介 教授(東京大学大学院総合文化研究科)

 

 超域文化科学専攻表象文化論コース所属。La légalité de l’art. La question du théâtre au miroir de la casuistique(『芸術の合法性 決疑論が映し出す演劇の問い』)により受賞。近代以前の西欧社会において、キリスト教によって不道徳な行いとして危険視された演劇が社会に容認されるまでの過程の解明において、決疑論(具体的な行為や見解が信仰や道徳の規範にかなうかについて良心の疑念を抱く事例を論じる倫理神学の一つ)に着目。中世後期から近世初頭の決疑論の資料から劇芸術とそれを楽しむことが宗教や道徳の法に反していないと認定されるまでの見通しを示した。近代以降無視された決疑論に着目することで、西欧の社会と文化における演劇が持つ意味と価値という問題に新たな光を当てた森元教授の研究はさまざまな分野で国際的な注目を浴びている。

 

中村 仁彦 名誉教授

 

 「人型ロボットの運動の計算と制御に関する基礎研究」により受賞。基本的な工業ロボットは3次元の位置と姿勢の3つの角度の計6個の自由度を持つが、人型ロボットのような汎用的で器用な動きが求められるロボットでは40を超える自由度が要求される。ロボットを動かすにはこれらの自由度を目的に合わせ、正確かつ高速に連動させることが求められる。中村名誉教授は多くの自由度を持つロボットの運動の制御と高速計算を可能にする理論的な基盤を作ることで、人型ロボット研究に貢献した。この技術を基に、人間の全身運動の計算モデルを開発することによって、スポーツなどで全身の筋肉から発生する張力を推定する分野を開拓。開発したセンサーを体につけずにできるモーションキャプチャー技術により体に働く力などを解析することは、スポーツ中のけがの発見や予防にも有効だとされる。

 

文化勲章

 

日本文化の発達に関し功績の顕著な者に授与される。原則として昨年度までの文化功労の中から選ばれ閣議決定される。

 

辻 惟雄 名誉教授

 

 長年にわたり美術史を研究。1970年刊行『奇想の系譜』でそれまでの美術史において注目されていなかった伊藤若冲や歌川国芳をはじめとする江戸時代の絵師をいち早く再評価した。米国のコレクターであるジョー・プライス夫妻との交流により若冲研究を進めた。87年に「日本美術史に関する国際大学院生会議(JAWS)」を立ち上げ、現在でも国内外の若手研究者が国際会議を経験する場となっている。91年からはボストン美術館に所蔵される日本美術作品を30年以上にわたり調査し、その成果は『ボストン美術館日本美術総合調査図録』にまとめられた。日本美術や文化・日本人の美意識の特質を「かざり」「あそび」「アニミズム」をキーワードとして、幅広く研究。東京国立文化財研究所技官、東大文学部教授、国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長などを歴任。

 

文化功労者

 

文化の向上、発達に関し功績の顕著な者に授与される。

 

渡辺 浩 名誉教授

 

 江戸から明治期の政治思想史の流れを大胆に描き直す研究業績によって選出。江戸時代の思想史の展開と、明治時代の思想へのつながりの様子を明らかにした。江戸時代の儒学史展開とダイナミズムを東アジア諸地域と比較し解明。この研究を踏まえ江戸時代末期から明治時代における西洋との接触が儒学的な思考枠組みに規定されていたことを明らかにした。日本思想史の展開を東アジア諸地域との比較から研究した成果は国際的な注目を集める。ジェンダー論との結びつきといった新たな視点からも研究を行う。2010年刊行の『日本政治思想史[十七~十九世紀]』では徳川政治体制や荻生徂徠(おぎゅうそらい)、本居宣長、武士や女性の思想から明治時代の思想について論じる。東大大学院法学政治学研究科教授、同研究科長、東大理事・副学長、法政大学法学部教授を歴任。現在は日本学士院会員。

 

山下 晋司 名誉教授

 

 文化人類学分野を中心とする研究成果により選出。文化人類学の観点からインドネシア、マレーシアを中心に長期のフィールドワークを行い、現代インドネシアの民族文化の動態を解明。バリ島での調査では日本で先駆けて観光人類学の視点から文化生成論を展開した。移民の人権や観光地における防災など多岐にわたる研究を行う。2011年にはNPO法人「人間の安全保障」フォーラムを設立。教育・研究・交流活動などを通して人間の安全保障の実践に取り組む。東大大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラムにも関わってきた。東大教養学部教授、日本民族学会(当時、現・日本文化人類学会)会長、総合観光学会会長などを歴任。12年秋には紫綬褒章、22年春には瑞宝中綬章を受章。

 

紫綬褒章

 

科学技術・学術・スポーツ・芸術文化分野での優れた業績に対して授与される。

 

春の受章者

 

阿部 郁朗 教授(東京大学大学院薬学系研究科)

 

 薬科学専攻有機薬科学講座所属。天然物化学の教育・研究を行ってきた。植物や微生物などの薬用天然物の生合成研究や酵素工学を研究。未解明だった複雑骨格天然物の生合成の詳細を解明し、それらを改変することで天然物よりも有用な新物質や希少有用天然物の安定供給を可能にした。薬用天然物の生合成マシナリー(生合成の際に働くシステム)の詳細を酵素・遺伝子レベルで明らかにし、酵素反応機構と立体構造基盤を解明した。有機化学を基盤とし、生化学や分子生物学など他領域の学問分野の方法論を応用した研究が特徴で、天然の新規化合物の発見を通しての生合成研究が創薬研究に応用可能なことを示した。天然物の骨格構築に関わる酵素の機能拡張と潜在的触媒能力の活用は、医薬品だけでなくエネルギーや新規素材の生産技術の革新につながる新しい技術基盤として期待される。

 

佐竹 健治 名誉教授(台湾国立中央大学招聘(しょうへい)教授)

 

 地球物理学的・歴史地震学的・古地震学的(地震計発明以前の地震や津波を津波堆積物などにより調査する研究)手法を用い巨大地震・巨大津波の発生履歴や発生機構を研究。地球物理学的観点では、観測された津波波形と理論的な計算波形を用いたインバージョン法により、津波波源の空間的分布を推定する手法を開発。この手法は世界の津波研究・予測の基礎となっただけでなく、20世紀以降に世界で発生した巨大地震や津波地震の系統的な解析を行うことで津波地震のメカニズムを解明した。歴史地震学の観点からは、日本の歴史文書の記録と津波シミュレーションの比較から1700年に北米沖で巨大地震が発生したことを発見。古地震調査では千島海溝と日本海溝で発生した巨大地震の存在を明らかにした。08~24年東大地震研究所教授。22年には防災功労者内閣総理大臣表彰を受けた。

 

秋の受章者

 

塩谷 光彦 名誉教授(東京理科大学教授)

 

 錯体化学、超分子化学、生物無機化学の教育と研究に長年携わってきた。超分子金属錯体の化学を基盤とし、分子やイオンの多彩な空間機能を創出する研究で世界を先導してきた。創成した新物質の中でも、金属錯体型人工DNA(DNAの塩基対は水素結合によって形成されるが、代わりに金属配位結合によって生成)の開発は世界に先駆けた研究だった。触媒活性を有するDNA触媒やLogic Gateシステムの開発、分子認識能と反応場を兼ね備えた多孔性超分子結晶の構築に成功。置換活性錯体(配位子の置換反応が速やかに起こる錯体)の「金属中心の不斉誘導」(不斉誘導は鏡像異性体を有する分子でその一方を生成すること)と「絶対配置の安定化」に世界で初めて成功し、不斉金属の科学を大きく進歩させた。1999~24年東大大学院理学系研究科教授。現在は東京理科大学教授。

 

日比谷 紀之 名誉教授(東京海洋大学客員教授・海洋研究開発機構アドバイザー)

 

 深層海洋循環や深海乱流に注目し、理論と観測を融合した手法によってその実態を解明するなどの研究で業績を挙げてきた。粗い海底地形上で形成される乱流混合域が海洋物理学で議論されてきた「乱流強度不足問題」解決の鍵となる可能性を提唱したほか、潮流と海嶺・海山の相互作用により発生する内部潮汐(ちょうせき)波が乱流を引き起こす過程を理論的に解明。これに伴う乱流強度の緯度依存性を観測で実証し、中・深層での乱流強度の全球マップを世界で初めて作成。気候変動の予測向上の重要な課題である、大気と海洋との相互作用が行われる海洋表層混合層モデルの高精度化や、九州西方や四国西方沿岸域で発生する特異現象の発生機構の解明・予報システムの構築の研究も行う。2000~22年東大大学院理学系研究科教授。現在は東京海洋大学客員教授・海洋研究開発機構アドバイザー。

 

森山 工 教授(東京大学大学院総合文化研究科)

 

 文化人類学者。1988年以来マダガスカルで長期のフィールドワークを実施。民族誌学的観点からはマダガスカルのある農村地帯の社会関係、墓制・祖先観念、マダガスカル語学などの研究を、歴史人類学的観点からはマダガスカルを焦点とした19世紀前半から20世紀半ばにかけてのフランス植民地主義や、マダガスカルの歴史的資料から植民地における文化や社会のあり方に関する研究を行う。文化人類学的なフィールド調査のあり方に関する理論的研究や、フランス社会学派の社会思想と社会実践に関する学説史的研究も行う。フランス社会学派のマルセル・モースの著作『贈与論』などを緻密に読解した。これらの研究成果により受章。21~23年東大大学院総合文化研究科長。現在は東大理事・副学長。

 

 

東大から3人がThe Asian Scientist 100(2025年版)に選出

 

 沖大幹教授(東大大学院工学系研究科)、小原一成教授(東大地震研究所)、森脇可奈助教(東大大学院理学系研究科附属ビッグバン宇宙国際研究センター)の3人がAsian Scientist100(2025年版)に選出された。The Asian Scientist 100は科学技術誌Asian Scientist Magazineが毎年発表する、アジア各国の科学技術、光学、医療などの幅広い分野で優れた科学者・研究者を選出するリスト。2025年版では日本から14人が選出された。沖教授は気候変動を視野に入れた水資源管理の推進や水害・水不足などの問題、水循環モデルの構築、地球規模の水循環と気候変動に関して研究。持続可能な社会の実現への寄与が期待される。小原教授はスロー地震(通常の地震に比べ卓越周期が長い地震)の一つである深部低周波微動を発見。その活動状況をモニタリングする手法の開発を進め、メカニズム解明に向けた研究を行っている。スロー地震と巨大地震の関連の解明を目標とし、成果は南海トラフ巨大地震の再評価への活用など、国の防災・減災政策に貢献。森脇助教は機械学習を用いた現実的な模擬観測データの生成や宇宙大規模構造データ処理、宇宙論的シミュレーションを用いた遠方銀河の内部構造の調査などを研究。宇宙大規模構造の新しい観測手法である輝線強度マッピングでノイズを取り除き赤方偏移のみを取り出す方法を提案した。

 

 

「色々」な褒章

 

 本記事では紫綬褒章の受章者を紹介したが、褒章は全部で紅、緑、黄、紫、藍、紺の6種類が存在し、色によって授与対象が異なる(表)。このうち紺綬褒章以外は春秋褒章といい、毎年4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)に授与される。今回紹介した紫綬褒章は科学技術や学術だけではなく、スポーツや芸術文化分野における優れた業績を上げた人にも授与される。このほかにも団体等に授与される場合は褒状、すでに褒章を授与されている人に同種の褒章を授与する場合には飾版が授与される。「褒章」は円形のメダル、「綬」は褒章を身に付けるためのリボンのことで、6つの色は「綬」の色を表す。

 

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