ニュース

2021年4月13日

なぜ日本はワクチン開発に出遅れたのか? 連載・東大のワクチン開発の現状を追う①mRNAワクチン開発と研究環境

 

 新型コロナウイルス感染症(COVIDー19)の感染拡大開始から約1年が経過し、各国でワクチン開発競争が激化。ファイザー社(米国)やアストラゼネカ社(英国)、シノファーム(中国)などは既にワクチン開発に成功している。一方で、日本や東大のワクチン開発の現状はどのようになっているのか。第一三共株式会社と連携して、mRNAワクチンの開発、実用化に取り組む石井健教授(東大医科学研究所)に開発の現状、海外との比較、研究環境などについて話を聞いた。

(取材・友清雄太)

 

悔やまれるプロジェクト凍結

 

 石井教授が現在開発しているのはmRNAワクチンと呼ばれるものだ。COVIDー19は、ウイルス表面にあるスパイクタンパク質と呼ばれる突起に、免疫を誘発させることで無力化することができる。mRNAワクチンでは、このスパイクタンパク質を形成する情報を持ったmRNAをヒトの細胞に取り込み、ヒトの細胞上にスパイクタンパク質を生成させる。そのスパイクタンパク質に対し、抗体を生成することで、結果的にCOVIDー19の免疫が獲得されるという仕組みだ。利点は大量生産、合成が他種類のワクチンより容易であること(図1)。既に実用化されているファイザー社やモデルナ社(米国)のワクチンもmRNAワクチンだ。

 

(図1)「一般的な」mRNAワクチンの特徴と他のワクチンとの比較 (石井教授提供)

 

 石井教授はCOVIDー19登場以前から、未知の感染症に対する有効なワクチンを直ちに製造するために必要なモックアップ(模擬)ワクチンの開発に取り組んでいた。モックアップワクチンとは、模擬の抗原を用いたワクチンだ。感染症が実際に流行したときに抗原を入れ替えるだけで、素早いワクチン製造への移行が可能になる。

 

 石井教授は2015年に、政府へ新興感染症に対するモックアップワクチン開発を提言。同時に、大量生産、合成が容易なmRNAをワクチン抗原に用いることも提案していた。MERSウイルスやジカ熱ウイルスのmRNAワクチンを作成し、動物実験において免疫の反応性が認められた。しかし、臨床試験の多額の予算は国からカットされ、18年にプロジェクトは凍結。「後悔先に立たずとはこのことです。起きるとされていたことが現実になったときに、すぐに対応できる体制を作っておくことの重要性を実感しました」と石井教授は語る。

 

 その後、19年に東大医科学研究所へ異動。年度末からCOVIDー19の流行が始まった。石井教授はモックアッププロジェクトで培ったノウハウを生かし、20年2月からmRNAワクチンの開発に取り掛かった。21年3月現在、ワクチンのプロトタイプは完成。マウス、ハムスター、サルでの動物実験で免疫の反応が確認されている。さらに、ヒトでの免疫活性も確認済みで、3月22日に第一三共が初期の臨床試験でワクチンの初回投与を開始した。

 

 石井教授と第一三共が共同で開発するワクチンと、ファイザー社やモデルナ社のワクチンはいずれもmRNAを用いている。一方で違いとしては、前者の方がより安全性が高いことが挙げられる。mRNAワクチンでは、リピッドナノ粒子(LNP)と呼ばれるカプセルの中にmRNAを封入しているが、カプセル内のmRNAは時間がたつとお互いが絡んでしまう。そこで石井教授のワクチンでは、絡み合ったmRNAを除去。ワクチン接種後の抗体数の増加と炎症の度合いの低下を実現した。現在流行しつつある変異株に対しても、効果はあるという。「ワクチンがいきなり駄目になることはありません」。抗体の機能が下がったという研究もあるが、免疫をつかさどるT細胞に影響はなく、免疫の獲得自体に問題はない。臨床試験に移っているワクチンは、22年初頭に一般向けの接種に入る見通しだ。

 

危機意識の差が出遅れの一因に

 

 東大など日本各地でCOVIDー19のワクチン開発が進むが、米国や欧州、中国などと比較しても遅れを取っているのが現状だ。その大きな原因として、石井教授は資金面の差を挙げる。政府は20年4月の令和2年度第1次補正予算でワクチン開発支援として約100億円を投入。続く6月成立の令和2年度第2次補正予算ではワクチンの早期実用化のための体制整備費として1455億円を、開発費として500億円を追加で投入し支援した。しかし、政府のワクチン開発の予算は、各事業に配分されるため、一事業当たりの予算額は諸外国と比べても大きいとはいえない。

 

 一方で、米国は「ワープ・スピード作戦」を掲げ約100億ドルを投じ、欧州やWHOを中心とする世界的なワクチン開発・供給の枠組「COVAX」では 2021年4月8日時点で、各国や民間団体から約63億ドルの資金提供を受けている。20年5月時点で、米生物医学先端研究開発局(BARDA)はモデルナ社に4億8300万ドルを、アストラゼネカ社に10億ドルを支援した。

 

 こうした対応の違いの背景に、危機意識の差があると石井教授は言う。米国や欧州では平時からバイオテロなど有事に備えた研究をしている。ワクチンは外交や国防の要であるという意識の希薄さが支援の金額やスピード感の遅れに現れたのではと語る(図2)

 

(図2)一般的なワクチンとCOVIDー19ワクチン開発スケジュールの比較 (日置仰、小檜山康司、石井健 実験医学2021より引用)

 

 第3の原因は、研究に対する意識の差だ。東大医科学研究所は、前身の伝染病研究所時代に北里柴三郎、志賀潔などが在籍。歴史的に見てもさまざまなワクチン開発に取り組んできた。基礎研究力があり人材も豊富だが、臨床試験の環境や応用への意識は十分ではないという。「我々が基礎研究という『筋トレ』をしている間に、モデルナ社やビオンテック社(独)は臨床試験という『試合』を繰り返していました」。応用の面で、英オックスフォード大や米ハーバード大など世界のトップレベルの大学との差は大きいと語る。この臨床試験のインフラ不足や応用への意識の差も、日本や東大がワクチン開発で出遅れた原因の一つと石井教授は考えている。

 

産学連携の在り方の再議論を

 

 石井教授はワクチン開発の遅れを受けて、産学連携の在り方の見直しを求めている。興味深い発見や研究が実際に社会の役に立つまでには時間がかかる。大学は単に技術を企業に提供するのではなく、企業が取り組みにくい、面白そうだが芽が出るまでに時間がかかる研究にじっくり取り組むべきだという。「無駄は作りつつも、本当に必要なときに使えるようにしておく。今回のワクチン開発で、産学連携の在り方を再考しなくてはいけません」

 

 加えて、医科学研究所で COVIDー19の弱毒化ワクチンの開発に取り組む河岡義裕特任教授と共に「パンデミックセンター」の必要性も訴える。現在、石井教授は研究室単位で企業と連携しつつmRNAワクチンの開発を行っているが、より集約された、大規模な環境や人員、予算で取り組むべきだと話す。

 

出遅れた日本がワクチン開発に取り組む意義とは

 

 米国や欧州、中国などと比較しても遅れが目立つ日本のワクチン開発。それでも日本がワクチン開発に取り組む意義として「安全性や信頼性の高さ」を石井教授は強調する。「海外では、現在でも日本製は安心・安全として信頼されています。ワクチンは使い方を誤ると武器や外交手段にもなり得ます。日本が野心を持たずに安全性の高いワクチンを世界へ届けることで国際貢献につながると考えています」

 

石井 健(いしい・けん)教授(東京大学医科学研究所、大学院医学系研究科、大学院新領域創成科学研究科)
93年横浜市立大学医学部卒。博士(医学)。大阪大学教授などを経て、19年より現職。

 

【連載・東大のワクチン開発の現状を追う】

「国産ワクチンは必須」 連載・東大のワクチン開発の現状を追う 番外編①阪大寄附講座教授に聞く国産ワクチンの必要性

ワクチン認可制度の見直しを 連載・東大のワクチン開発の現状を追う 番外編②:阪大寄附講座教授に聞く日本が出遅れた理由

koushi-thumb-300xauto-242

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る