インタビュー

2022年2月20日

【受験生にエール】「東大への思い」をエネルギーに 「記憶の解凍」プロジェクトで戦争体験を伝承・庭田杏珠さん(文Ⅲ・2年)

 

 入試本番まであと少し。広島県出身で高校生のときから「記憶の解凍」プロジェクトをはじめとする戦争体験伝承の活動を行う庭田杏珠さんに、自身の受験や東大での生活について語ってもらった。東大で活躍するイメージを持って、全力を出し切ってほしい。(取材・伊藤凜花)

 

「戦争体験者からのメッセージを伝えたい」

 

──高校生のときから「記憶の解凍」の取り組みを続けています

 

 「記憶の解凍」は、戦前から戦後の白黒写真をAI技術でカラー化したのち、資料や対話をもとに、人の手で色補正し「記憶の色」をよみがえらせる取り組みです。戦争体験者の「想い・記憶」を未来へ継承したいと考えています。

 

 きっかけは高1の夏、広島市平和記念公園で、濵井德三さんと偶然出会ったことです。濵井さんの生家は、原爆投下前4400人が暮らしていた繁華街・中島地区(現在の平和記念公園)で「濵井理髪館」を営んでいました。後日、疎開先に持参した大切なアルバムを見せてもらうと、戦前の幸せな日常を写した貴重な白黒写真約250枚が収められていました。ちょうどその一週間後に参加した渡邉英徳先生(東大大学院情報学環)の講習会で、戦前の沖縄の写真をカラー化する取り組みを知り、原爆で失った濵井さんのご家族をいつも近くに感じてほしいという想いからカラー化を始めました。その後も中島地区の他の元住民の方ともつながり、活動が広がっています。

 

 

濵井さんの家族の白黒写真(上)を庭田さんがカラー化した(下)(写真提供:濵井德三氏、カラー化:庭田杏珠)

 

──以前から平和教育に関心があったのですか

 

 広島出身ということもあり、平和教育を受ける機会は多かったです。しかし原爆の惨状から「これを繰り返さないようにしよう」というもので、幼い頃は受け止め切れませんでした。小5の時、現在の平和公園と被爆前の中島地区の様子を比較したパンフレットを見て、戦前にも今の私たちと変わらない幸せな日常が存在し、それがたった一発の原子爆弾で一瞬にして奪われたことを、初めて「自分ごと」として想像できました。それから戦争体験者の想いを伝えていきたいという使命を感じるようになったのですが、当時はその方法が分からず、新聞やテレビなどから学ぶことしかできませんでした。

 

──東大を志望した理由は

 

 高3の夏に東大のオープンキャンパスに参加し、教育学部の講演を聞きました。それまで教育学部は教師を育成する学部だと思っていたのですが、東大では図書館や美術館などの公共施設の利活用など、教育空間の研究を行っていることを知りました。取り組みを続ける中で、展覧会や映像、アプリ、メディアなど、机の上での学びだけではない「平和教育の教育空間」について探究したいと思っていたので、そのことを発表できる、東大の教育学部の推薦入試に挑戦することに決めました。

 

──受験生時代に大変だったことはありましたか

 

 取り組みと学業の両立は常に大変でした。写真のカラー化には1カ月以上かかることもあり、土日も忙しく取り組みを進めていました。また高校では取り組みを認められず孤独を感じることもありましたが、中島地区の方々や渡邉先生、家族など応援してくれる人がいたおかげで諦めず続けられました。受験生の皆さんも、自分が信じる道を誰かに反対されても、理解してくれる人と一緒にぜひ実現してほしいです。目指す道が明確だと大学での学びもより有意義になるので、高校生のうちに見つけてほしいと思います。

 

──推薦入試当日について教えてください

 

 12月半ばに第2次選考がありました。午前中はプレゼンテーションで、受験生同士で質疑応答も行いました。全国から集まった受験生のさまざまな取り組みを知る良い機会となり、昼休憩の時間にはそれぞれの活動について話し合ったりもしました。午後は個人ごとの面接でした。もちろん緊張もありましたが「東大の先生に自分の取り組みを紹介する最後の機会かもしれない」と伝えたいことを全てぶつけました。

 

──第2次選考が終わってから合格発表まではどのように過ごしましたか

 

 センター試験(現・共通テスト)を終えてからは、休む間も無く、渡邉先生との共著で2020年に発行された写真集『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)の準備に取り掛かりました。やるべきことは全てやり切ったので悔いはない、と合否のことはあまり気にしていませんでした。合格が分かったときは全身がしびれるような感覚がしました。驚きとともに、味わったことのないうれしさを感じました。お世話になった方々や友人、応援してくれた中島地区の方々にもすぐにご連絡して、感謝の気持ちをお伝えしました。

 

──メディアの取材や国際会議での発表など人前での発表を多く経験されていますが、緊張にはどのように対処していますか

 

 私は過度な緊張はしませんが、人並みに緊張することはあります。そのときは「緊張した自分」ではなく「聞いてくれる人に想いを伝える」ことに意識を向けるようにしていますね。

 

 

大学での学びをもとに新しい挑戦

 

──現在学んでいることについて教えてください

 

 推薦生の早期履修制度を利用して、入学前からの念願だった山名淳先生(東大大学院教育学研究科・東大大学院情報学環)の授業を受講しました。カタストロフィー(厄災)の記憶伝承について教育哲学の観点から研究されている先生で、取り組みの意義について、深く考察する機会となりました。今も山名研究室のゼミに参加して学んでいます。

 

 また東大芸術創造連携研究機構(ACUT)が開講する前期教養課程の授業の文理融合ゼミナールを受講し、芸術についても学んでいます。例えば、インタラクティブアートや音響、演技の授業を通して、新しい表現の幅を広げています。

 

──大学での学びは取り組みにどのように生きていますか

 

 取り組みを続ける中で、音楽とカラー化写真のコラボレーションを通して「聴く・観る」人の「感性」に響き、戦争や平和に関心がない人も「自分ごと」として「想像する空間」の大切さに気付きました。そして、2021年の夏、シンガーソングライターのHIPPYさん、ピアニストで作曲家のはらかなこさんと楽曲『Color of Memory~記憶の色~』を制作。クリエイターの達富航平さんとMVの企画に携わり、初めて作詞とコーラスにも挑戦しました。

 

 大学での学びを取り組みに生かすというより、取り組みの中での気付きから授業を選び、今学んでいるところです。これからも「平和教育の教育空間」の探究を、アーティストとしての表現の幅を広げながら、続けていきたいと思っています。

 

 

1935年濵井さんと家族、親戚、近所の方たちとのお花見の白黒写真(上) 対話をもとに花の色など手作業で補正しカラー化した (下)左から4人目の母親に抱かれ白いニット帽を被った男の子が濵井さん。(写真提供:濵井德三氏、カラー化:庭田杏珠)

 

 

東大で学びたいことを明確に持って

 

──東大の環境についてどのように考えていますか

 

 受験生のときに思い描いていた以上の学びを実現できる、とても恵まれた環境です。文理を融合した新しい学問など、多様で幅広い学びができるのも魅力です。また研究の第一線で活躍されている先生や世界中から集まる多才な学生も幅広い興味関心を持っている人が多く、取り組みについて「これまでの戦争や平和についての考え方を見直すきっかけになった」といった感想をもらえるなど励みになることが多いです。自分の取り組みを認めて応援してくれる環境があるのはとてもありがたいですね。

 

──受験生へのメッセージをお願いします

 

 合格はゴールではなくスタートです。自分と向き合って、東大で何を探究していきたいのかを明確に持ち、その思いを持ち続けることがとても大切だと思います。みなさんの思い描く進路が実現することをお祈りしています!

 

庭田杏珠(にわた・あんじゅ)さん 文Ⅲ・2年

 

*以下のリンクから庭田さんの他の作品・活動の様子を閲覧できます。(東大新聞オンライン外のサイトにアクセスします)

 

庭田杏珠×渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)

 

楽曲MV『Color of Memory 〜記憶の色〜』 HIPPPY×はらかなこ feat. Anju

 

書籍出版にまつわるエピソードの記事(光文社新書note)

 

「記憶の解凍」ARアプリ

 

【記事訂正】

2022年3月5日午前1時34分 記事本文第2段落の「ちょうどその一週間前に参加した渡邉英徳先生(東大大学院情報学環)の講習会で、前の沖縄の写真」としていたところを「ちょうどその一週間後に参加した渡邉英徳先生(東大大学院情報学環)の講習会で、戦前の沖縄の写真」と訂正しました。また、3・4枚目の写真のキャプションを訂正しました。お詫び申し上げます。

 

【関連記事】

戦争の記憶どう受け継ぐ? 〜AIによる写真のカラー化とオーラルヒストリー〜

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る