教養

2023年1月17日

【100行で名著】 償いにみるフィクションの可能性  イアン・マキューアン『贖罪』

 

 「罪はいかにして償われるか」という主題を掲げた小説は数多い。特に、被害者が既にこの世におらず、赦(ゆる)しを乞うこともできない状況で、加害者が罪の意識に苦しむ場合が多い。中には罪人が償いきれずに破滅するものもあれば、社会的・宗教的償いの手段をとって救済されるものもある。救いの手段は小説によりさまざまだ。それだけ多くの小説家が「贖罪(しょくざい)」というテーマに重要性を見出し、思索を深めてきたのだろう。

 

 イアン・マキューアンもそうした作家たちの一人に他ならない。彼は2001年に発表した本書で、フィクションによって償いを試みる女性を描いた。

 

 空想家のブライオニーは13歳の時、姉の恋人ロビーをある強姦(ごうかん)事件の犯人として告発する。しかしそれは過去の出来事をもとにした勝手な空想によるもので、時間が経つにつれ彼女自身も証言が偽りだと悟っていった。冤罪(えんざい)を受けたロビーは3年半にわたり収監され、その間恋人セシーリアとの面会も禁じられる。ロビーの出所後2人は一度だけ再会を果たすが、それを最後に、二度と会うことはなかった。戦争が始まったのだ。

 

 直接の償いの機会は、ロビーの戦死と空襲によるセシーリアの死によって完全に失われた。残された彼女はそこで、全く新しい形での贖罪を試みた。13歳で作った物語──罪を犯したのはロビーだという空想──を「書き直す」ことにしたのだ。

 

 彼女の罪は独りよがりの物語に支配されたことに起因する。フィクションで罪を犯したならば、フィクションを放棄するのが道理かもしれない。しかしここで問題となっているのは「物語を生む想像力そのものではなく、むしろ想像力の不足ないしは欠陥」(武田将明「解説」より)である。ゆえにブライオニーは、自身の行動によってロビーがいかに傷つけられるかという事に考えが及ばなかったことを反省し、償いの物語を創作した。そこでは戦地でのロビーの苦難と幸福な帰還を描くことで、かつて誤った方向に働いた自身の想像力を正しい方へと導いた。想像すべきはロビーの罪ではなく、彼の幸福であったということを、物語を通してブライオニーは示したのだ。

 

 時に私たちは他者を誤解し、間違った物語を当てはめてしまう。それが原因で取り返しのつかない結果となることも少なくない。しかし現実で間違えても、物語は修正することができるのだ。フィクションは罪人に贖罪の機会を提供する。それで現実は変わらない。けれども罪の意識と後悔に苛(さいな)まれる人間にとって、フィクションは最後の光明である。【ず】

 

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