PROFESSOR

2022年11月19日

「読書」と「議論」  知の基盤作った学生時代 五百旗頭薫教授インタビュー【前編】

 

    東大で歴史・政治の研究をする五百旗頭薫教授(東大大学院法学政治学研究科)。のちに伝説となった駒場祭での弁論部の企画や、東大で教授になった経緯、監修として携わった『角川まんが学習シリーズ日本の歴史16多様化する社会』(KADOKAWA)についてなど、東大で過ごした人生の節目における決断と気付きを聞いた。(取材・松本雄大)

 

駒場祭での伝説の対談

 

━━高校時代はどのように過ごしていましたか

 

 歴史が好きで地歴部に入りました。史料に基づく研究発表を良しとする方針が部にはあり、史料が手に入りやすくて読みやすい日本史が推奨されていたのですが、海外の名前の方がカッコいいなと思いまして。世界史班というものを新たに作りました。文化祭ではナポレオン戦争について発表して、当時新設された個人大賞をもらえました。中高時代の一番いい思い出です。その頃から調べて成果を発表するということが好きになりましたね。

 

━━東大を進学先に選んだ理由は

 

 特に考えていたわけでもなく、受験勉強するからには行けるところまで行きたいし、勉強自体も苦ではなかったので。文Ⅰにしたのは外交官になりたかったからですね。父親の仕事の都合で高校時代に半年間ほど英国の寄宿学校にいたのですが、ちょうど湾岸戦争が勃発した時期で、友達から「日本はなぜ湾岸戦争に派兵をしないんだ」と言われて、英語でうまく言い返せず悔しかったことを覚えています。日本の中で通用している議論でも世界では通用しないと知り、日本と世界の仲立ちをする外交官になりたいと思いました。

 

━━駒場時代はどのように過ごしましたか

 

 いざ大学に入ってみると、旧制一高以来の教養主義の名残(なごり)で、授業に出るより図書館で本を読んでいる方が偉いといった価値観がありました。自分もすっかりそれに染まってしまいましたね。英国で言い負かされた悔しさから弁論部に入ったのですが、東大の弁論部は弁論やディベートをあくまで読書のための呼び水だと考えている側面があって。教養主義も相まって本当にいろんな本を読みました。午前中は寝ていて、午後遅い時間に起きて寮や部室で人としゃべって、その後は部会に出たり夕飯を食べたりして。家に帰ると夜遅くまで本を読んでまた次の日遅く起きるという生活を送っていました。元来朝起きることが苦手で、規則的な生活が迫られる外交官は無理だなと思いましたね。ちなみに今は1限に入った授業は歯を食いしばってやっています(笑)。

 

サムネイルおよび本記事の写真2枚は、東大大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫で撮影

 

━━弁論部では部長も務めました。駒場祭にはどのように関わりましたか

 

 世俗から離れた生活を送っていたので、駒場祭くらいは社会と接点を持とうとシンポジウムを企画しました。当時『ニセ学生マニュアル』(徳間書店)で一世を風靡(ふうび)していた浅羽通明さんにまず声を掛け、企画の相談に乗ってもらいました。巣鴨駅の前にある鰻(うなぎ)屋で月に2回くらい会って、博識な人なので純粋に話すことも楽しく、駒場祭の相談1割、雑談が9割みたいになっていましたね。

 

 当時の私はカントやヘーゲルなど哲学ばかりを「万学の長」とあがめていたのですが、彼と話していくうちに文学にも目を向けるようになりました。駒場祭は対談形式にすることだけ決まったものの相手が全く決まらず、最終的には浅羽さんの「ものすごく怖いけれど小林よしのりにしよう」という一言で対談相手が決まりました。

 

━━ものすごく怖いとは

 

 小林よしのりさんは『ゴーマニズム宣言』(小学館)という世の中の建前や欺瞞(ぎまん)を小気味よく批判する漫画を描かれていました。最後は「ゴーマンかましてよかですか?」というセリフと共に作者本人が登場し、批判を総括するオチでした。読む分には痛快で面白い本だったのですが、対談に呼べばわれわれも漫画のように小林さんに切り刻まれるのではないかという恐れがあったんです。

 

━━駒場祭当日は

 

 いつもはアカデミックすぎる弁論部の企画には観客があまり集まらなかったのですが、小林さんが登壇するということで対談は大盛況でした。小林さんは実際に会ってみるとものすごく真面目で、ゆっくりものを考えてゆっくりと話す人でした。漫画に登場する彼とはだいぶ印象が違いましたね。浅羽さんと小林さんが共にリスペクトしつつ進んでいったので、対談はすごく誠実で良いものになったのを覚えています。

 

 ただ議論が白熱した結果、浅羽さんが小林さんを挑発したんですね。「もっと社会的な発言をするべきだ」と。当時の小林さんの漫画は政治から距離を取り、われわれの生活の中での思い込みをふっと壊してくれるものでした。しかしこの挑発を受けて「社会に打って出る」と小林さんが対談中に宣言してしまって。会場は拍手喝采で盛り上がったのですが、まさか本当にその後右翼の論客になってしまうとは驚きでした。『ゴーマニズム宣言』も自身の歴史認識を述べる内容になってしまいまして。対談という企画自体は伝説になるくらい盛況だったのですが、「小林よしのり」という人物の在り方を対談が変えてしまったかのようで、「やってしまったな」という後味が残りました。

 

 このことがきっかけで、企画を立てて世の中に発信することに少し臆病になった気がします。社会に打って出ずに、研究を楽しむというスタイルの学者になったのも駒場祭のほろ苦い思い出が理由かもしれません。

 

━━弁論部での思い出は。「議論の勝ち方」はありますか

 

 ただ議論に勝ちたければ、相手が無条件に前提としているところを攻めればいいんです。無防備な前提を崩せば論理が破綻します。実際、駒場の弁論部時代はこうして多くの議論に勝ちました。いや、勝ったような気分になっていたというのが正確かもしれないです。本当の意味で議論に勝つとは、相手の言いたいことを相手よりも巧みに表現し、自分の言葉の中に相手を包摂することだと今では思います。つまり相手の良いところを議論中に見つけて表現してしまうということです。この意味での議論を制するということは今でもしたいですね。

 

━━大学生活を通して最も印象に残っていることは

 

 やはり本を読んだことですね。今の自分の知的な基盤になっています。現在の専門内容と直接は関わりがない哲学書ばかり読んでいたのですが、歴史家として仕事をする上で、過去にあった因果関係を再現する際に他の人よりも把握する持ち札が多いです。「ここはカント風に議論する」「ここはヘーゲル風に議論する」といった形で思考するための道具として役に立っています。

 

五百旗頭薫(いおきべ・かおる)教授 96年東大法学部卒。東大法学部助手を経て、01年東京都立大学助教授(当時)。07年東大社会科学研究所准教授。11年博士(法学)取得。 14年より現職。

 

【記事修正】2022年11月19日午後8時25分 記事中の画像のキャプションの「東大大学院政治学研究科附属近代日本法政史料センター」を「東大大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター」に修正しました。

 

【後編はこちら】

「読書」と「議論」  知の基盤作った学生時代 五百旗頭薫教授インタビュー 【後編】

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